落合恵子*Journal of Silent Spring

4月4日/ 4月5日/ 4月7日/ 4月8日/ 4月9日/ 4月10日/ 4月11日/ 4月12日/ 4月13日/ 4月14日/ 4月15日/ 4月16日/ 4月17日/ 4月18日/ 4月19日/ 4月20日/ 4月21日/ 4月22日/ 4月23日/ 4月24日/ 4月25日/ 4月26日/ 4月27日/ 4月28日/ 4月29日/ 4月30日/ 5月1日/ 5月2日/ 5月3日/ 5月4日/ 5月5日/ 5月6日/ 5月7日/ 5月8日/ 5月9日/ 5月10日/ 5月11日/ 5月12日/ 5月13日/ 5月14日/ 5月15日/ 5月16日/ 5月17日/ 5月18日/ 5月19日/ 5月20日/ 5月21日/ 5月22日/ 5月23日/ 5月24日/ 5月25日/ 5月26日/ 5月27日/ 5月28日/ 5月29日/ 5月30日/ 5月31日/ 6月1日/ 6月2日/ 6月3日/ 6月4日/ 6月5日/ 6月6日/ 6月7日/ 6月8日/ 6月9日/ 6月10日/ 6月11日/ 6月12日/ 6月13日/ 6月14日/ 6月15日/6月17日/6月18日/6月19日/6月20日/6月21日/6月22日/6月23日/6月24日/6月25日/6月26日/6月27日/6月28日/6月29日/6月30日/7月1日/7月2日/7月3日/7月4日/7月5日/7月6日/7月7日/7月8日/7月9日/


7月9日

「はんげんぱつ新聞」の編集長、西尾漠さんを講師に迎えて、
四回目の朝の教室が開かれた。

講演が苦手とおっしゃる西尾漠さんは、淡々と、いまわたしたちに
必要な視点と姿勢について、喧伝されている「電力不足」について
語ってくださった。けれん味もないおはなしだった。
会場からの質問に、西尾さんは「それは、ぼくにはわかりません」
と応じられる場面もあった。
なにもかもをひとりが答えることはできない。そんなとき、
「わかりません」と言えるひとは、逆説的に言うなら、
信じられるかただとわたしは考える。

詩人茨城のり子の「汲む」という作品に登場する言葉だが、
わたしたちは「初々しい」感受性を失ってはならない。「すれっからし」になってはならない。
………年老いても咲きたての薔薇 柔らかく
   外にむかってひらかれるのこそ難しい
………すべてのいい仕事の核には
震える弱いアンテナが隠されている きっと………
そんな一節を思い出す瞬間があった。

十七歳の若い女性からの発言もあった。真っ直ぐな目をした女性だった。
チェルブイリ原発事故当時、この女性と同じように、17歳で原発のこわさに
気付いた当時の少女や少年も、いまはすでに四十代。
あの頃の真っ直ぐな思いをそのまま、自らの中に抱きつづけているだろうか。

次回は、今回の朝の教室でも話題になった「メディアの現在」という切り口から、
東京新聞「こちら特報部」(ほんとうに踏ん張った、いい記事を特集している)のデスク、田原牧さんを講師にお招きする。


7月8日
今日は栃木で、「関東地区高等学校PTA連合会大会」の講演会を。
むしむしする一日だった。
三枚のハンカチ―フが汗でびっしょり。

1000名以上の保護者や教師を前に、話をするのは、やはり緊張する。
もともと依頼を受けたときは、ほかのテーマで話をする予定ではあったのだが、
いま東日本大震災のことに触れないわけにはいかない。
むろん今もって収束がつかない原発についてもまた。
関東地区の大会なので、茨城や群馬、千葉など、なにかと不安を抱かざるを得ない地区からの参加者もおられた。
福島のいまは、ひとごとではない、という声も。

土曜日は四回目の朝の学校。
講師は、一貫して脱原発にかかわってこられた『はんげんぱつしんぶん』編集長の西尾
漠さん。
「だって電気は足りないのでしょう?だったら、原発も仕方がないじゃないですか?
それに、この猛暑です」
そんな声に、西尾さんはどうお応えになるか。
電量不足は本当なのか? 節電の大合唱の裏に、別の意図が隠されていないか?
そして、なによりもエネルギーシフトの今後は?
また、広告制作会社にお勤めだった西尾さんが電気事業連合会の広告に、
どんな疑問を抱き、脱原発にかかわるようになったのか……。
興味深いお話をお聞き出来ると、とても期待している。

さ、早く寝なくちゃと思いながら、今日も徹夜になりそうな、
こわい予感が。
読みたい本が沢山あるのだ。


7月7日
空模様が芳しくない七夕。
七夕は毎年、快晴とはいかないようだ。

再稼動の動きが出ていた佐賀県玄海町の玄海原発。
事前に九州電力が、子会社などに再稼動の弾みをつける協力を求めていたことが判明したというニュースが、今朝の新聞のトップ記事になっている。「やらせ」である。
なんということか。
住民の意見に真摯に耳を傾けると言いながら、裏ではこういった「やらせ」を実行しているのだ。
九州電力の社長は、自らが指図したことではないと言ってはいるが、
「国の信用」を傷つけたことには謝罪する、と記者会見では言ったようだ。
彼らが謝罪しなければならないのは、まずは住民に対してである。
はじめから再稼動という結論ありき、ではなかったか。

だいたい「国が安全を保証する」という海江田さんの言葉も、
福島の現実を見るなら、まやかしでしかない。
今後は改めてストレステストがあると発表されたが、
福島も玄海原発も、当局にしても電力会社にしても、
住民のいのちと人生に対して、あまりにも鈍感でいい加減過ぎる。
さらに不安なのは、まだ何ひとつ解決していない福島第一原発暴走に関して、メディアのニュースの量が減ってしまった現実である。
7月8日付けの「日刊ゲンダイ」では、
「東電と経産省の術中にハマった大マスコミ」という記事が掲載されている。
いまもって放射性物質はダダ漏れの福島原発である。
高濃度の汚染水も満杯になったままだ。
それでも報道されるニュースが少なくなると、関心は徐々に薄れていってしまうのではないか。そしてそれこそ、推進派・再稼動派の思うつぼである。

今週土曜日のクレヨンハウス「朝の教室」の講師は、
「はんげんぱつ新聞」編集長の西尾漠さん。
広告制作会社に勤務していた頃、
電力危機を訴える電気事業連合会の広告に疑問をもち、
原発問題に携わるようになる。
『原発を考える 50話』(岩波ジュニア新書)、『原発は地球にやさしいか』(合同出版)ほか著書多数。
増補新版『脱原発しかない バクとマサルのイラスト・ノート 2011・3・11のあとで』(第三書館)は8日に刊行される。
現実の活動から見てきた原発の実体、そして「脱原発」への道について、しっかりお話をうかがいたい。


7月6日
七夕の短冊に「ほうしゃのう こないでよ!」という幼い文字を見つけた。
どこかの幼稚園や自治体の七夕祭りの短冊にも、同じようなことばがあったと聞いている。
福島から遠くはなれて暮す東京の子どもたちも、放射能を恐れているのだ。
子どもたちが原発のある社会を選んだわけではいないのに。

このブログでも触れた玄海原発の再稼動について、
毎日放送7月4日放送の「たねまきジャーナル」で、
京都大学原子炉実験所の小出裕章さんは、
(ご本人が「さんと呼んでください」とおっしゃるので)次のようにおっしゃっている。

「国が安全だと言い、国が責任を持つというのですが、
それなら、福島には安全性は保障していなかったのか。
福島は地震の確立ゼロで、安全と言っていた、地元の人も信じていたのに事故になった。
原発は事故になったらとんでもないのに、
「国が安全というのだから、だから大丈夫」となぜ知事がそんなことを言えるのか。
玄海原発は老朽化しており、敦賀の1号機、美浜の1号機も誕生して41年。
老朽化は玄海のみではないが、老朽化すると、玄海では圧力容器の壊れる可能性がある。(中略)
(玄海原発の危険性については、東京新聞「こちら特報部」でも特集していた。落合付記)
鉄も中性子を浴びると脆くガラスのようになり、玄海のものは、90℃程度でガラスのようになり、
90℃に冷やすと「割れるように壊れる危険性がある。
そうなれば手の打ちようがない(容器なし=メルトダウン、大気中、地下に出て行く)、
環境に放射能が出るのです。
どのタイプ、何年たてば危ないかは、電力会社も分かっていない。
原子力は1954年に商業用原子炉がソ連で始まり、まだ新しい。
何年持つか、40年と思いつつ、40年持つかは、原子炉に試験片を入れて、
鉄がガラスになるか見ているものの、それでも不明で、敦賀でまだ動いている。
安全性を食いつぶしてやっているのです」

ラジオ放送を聴いてまとめ、メールで送ってくださるひとが関西におられ、
それをご紹介しているので、ミスがあったら、ごめんなさい。

とにかく、玄海の再稼動はめちゃくちゃだと思う。
安全を保障というけれど、一度暴走が起きれば、誰もどのようにも手をつけられないのが原発である。
このときに、再稼動を要請する政府も政府なら、それを受け入れる側もやはり問題ではないか。
経済がすべての背景にあるのだが、一度ことが起きたら、どうしようもないことは、
現在進行形の福島で起きていることではないか。

さらに、札幌の友人が北海道新聞の記事を送ってくれた。
毎日新聞のスクープでご存知だとは思うが、モンゴルに「核のゴミ」の処分場を作りたいと、
「捨て場」を作りたいと、東芝の社長がアメリカ政府高官に計画推進を要請する書簡を送っていたのだという。
フィンランドの核廃棄物の最終処分場を撮った「10万年後の安全」についてはブログに書いたが、
国内の予定地に「アメとムチ」を使って原発を作り、今度はモンゴルに同じような手を使い、
核のごみを押しつけるつもりなのか。
アメリカが「死の灰」を撒き散らす実験をしたのも、
自分たちが暮らすところから遠く離れたビキニ環礁だった。
そして第五福竜丸は被曝し、久保山愛吉さんが亡くなったことは、
当時子どもだったわたしも知っている。
どこで実験するかには、明らかに「人種差別」があったはずだ。
同じことを今度は原発暴走の収束もつかない、この国がするのか。
なんと酷い、なんと非情な国なのだろう。


7月5日
数日前のこのブログにも書いたが、詳しい内容について、再度。

福島県郡山の小中学校に通う子どもたちと保護者が、
学校ごと疎開をする措置を求める仮処分を、地裁支部に申し立てた。
14人の児童・生徒と、保護者16人だ。
学校の被曝線量に関しては、文部科学省が暫定規準として
年間20ミリシーベルトと決定。
その中には内部被曝の線量は含まれていないし、
なぜこんなにも高い暫定基準値にしたのか、
と多くの反対の声が、海の向こうでもあがった。
20ミリシーベルトと決めた過程、議事録もなし、という酷い告知だった。
その結果、高木文部科学大臣が、改めて1ミリシーベルト以下を目指すと変更した。
が、このまま郡山市の学校に通いつづけると、1ミリシーベルトを超え、
健康被害が起きる可能性があり得る………。
そんな理由で、仮処分を申し立てたのだという。

それがどこであれ、なんであれ、
ひとつの集団の中で、「みんなと違った」ことを発言したり、
行動をとることは、さまざまなストレスにさらされる場合が少なくない。
この子たちと、その保護者がとった行動が、周囲に充分に通じるように、と心から願う。
そして、それが他の多くの子どもたちのためになることを。
弁護団には、金沢地裁の裁判長時代に、
北陸電力滋賀原発2号機の運転を止める判決を下した
井戸謙一さん(現在弁護士)も参加されている。

今回の原発暴走を通して、わたしたちはつくづく、
信用と信頼に足るひとと、そうでないひとの「仕分け」を
目の当たりに体験しているようだ。


7月4日
節電が盛んに言われている。
やみくもに電気を使う必要など全くないし、
電力会社への支払いは可能な限り抑えたい。
しかし、15パーセントの節電という基準は何を根拠としたものなのか。
節電をしなくても電力不足にはならないという、かなり確かな試算がある。
とすると、この節電への呼びかけは何を目的としたものだろう。
「電力の足りない夏」、「猛暑情報」、「電力予想」。
なにが本当で、何が本当ではないか。

わたしたちには、メディアリテラシー(本当にそうなのかと情報を読み解く力)が必要だ。
「日本の多くの大メディアがやっていることはジャーナリズムではない」、
当局の「広報」でしかない、と海外のメディアが指摘している。
悲しいかな、それに反論する材料がほとんどない、わたしたちの現在である。

大震災後、さかんに「絆」という言葉が使われている。
人と人の、人と土の、人と海の、人と、その人が生まれ育ち、住み続けようとした
郷里との「絆」をずたずたに断ちきったもののひとつが、
原発であることをわたしは忘れない。
この、最悪の悲劇から何も学ばないのであるなら、わたしたちは終わりだ。


7月3日
今日も暑い一日だった。日テレの『バンキシャ』へ出演。
番組は玄海原発再稼動のニュースからはじまった。
言いたいこと山ほど!と、エックスクラメーションマークを
9999999回並べたいほどだが、しかしなにせ時間が足りない。
番組が終了すれば、いつもの自己嫌悪へ辿り着く。
もっと適切にして、もっと過不足ない表現の仕方はなかったか、と。

原発暴走は地震や大津波、自然災害だけで誘発されるものではない。
原発そのものの老朽化が暴走に直結する場合もある。
ということは、この国に存在する原発の多くが、
「いつ、なにが起きても不思議ではない状態」にあるのだ。
にもかかわらず、福島第一原発の暴走の原因は「想定外の大津波」と
3月11日以降言われ続けてきた。

九州電力玄海原発についても、安全性を評価するのは、経産省の原子力保安院だが、
多くのわたしたちは推進を目的とした「安全神話」を、もう信じることはできない。
安全と言われても、保安院は福島の暴走を防ぐことはできなかったのだ。
そもそも原発を推進する側が評価する安全性とは、一体、何なのか。
福島原発では、今朝も五号機のホースに亀裂が入っていることが判明し、
冷却注水が一時停止した。
なにひとつ収束が見えない福島の「いま」を目の前にしながら、
さらなる安全神話を垂れ流すとは……。わたしには理解できない。

番組中、地震速報が入った。福島沖が震源地の震度3、ということだが、
脆くなっている原発では震度3でさえ、何が起きるかわからない。
慣れてはいけない、と今夜もまた自分と約束する。


7月2日
曇天の土曜日。

昨夜は、昨日あたりから書店に並んだ拙著『「孤独の力」を抱きしめて』(小学館)のご担当の女性ふたりと、打上げを。
話題はやはり福島第一原発について。
「なんだかこうして食事をしていることが後ろめたい」
「そう、3・11以降、ずうっと」

署名でもなんでも自分のできることから一つ一つクリアにしていこう、
現行では無理だが、なんとか「国民投票」を、といった声も。
現行の「国民投票」は、憲法というテーマにのみ限られている。
しかし民意の反映は民主主義の基本である。
来週にも、国民投票をしようと呼びかける会のかたがた
(わたしも賛同人のひとりだが)が国会で記者会見をする。

被災地支援のために出張で現地に入り、被災地の山菜を
たくさん購入することで、もうひとつ別の支援を考え、
実行した父であり夫であるひとから、メールが。
放射性物質が最も被災地近隣の空中に飛散したときの、山菜を、
愛する子どもたちに沢山食べさせてしまった………。
それを悔やむ自分がいまいる、給食の食材も不安だ、と。

放射能に対する感受性は、特に胎児や子どもが強い。
「基準値」があること自体、問題だ。どんな少量でも本来、
体内に取り込んではならないものであるのだから。
体内にとりこむことは内部被曝になるのだから。それでも
取り込んでしまったものをできるだけ排出する方法はある。
とにかく、それを「基準値」を敢えて設けることで、
曖昧にしてしまうような流れに、本当に腹が立つ。

今日はこれから岡山へ。


7月1日
七月になった。
なんとも言葉で表現しようもない
悲しい七月だ。
        
ハンゲショウ、という植物がある。
緑の葉の大半が、白粉を塗ったように
この季節、白くなる植物だ。
半化粧、と漢字では書くのだろう。
いつものこの季節なら、ハンゲショウの
葉が白くなった、間もなく夕顔や朝顔の
蔓に支えを立てなくては、
と夏の植物と戯れるのだが………。

毎日放送が26日深夜に放映した映像’11。
その中で京都大学原子炉実験所の小出裕章さんは
次のようにおっしゃっていた。
参議院に招致されての話の中で、である。
原発事故の被害は、「大きく見積もるべきなのに。
政府も東電も過少に見積過ぎている」と。
いつになく激しい口調で、おっしゃっていた。
この福島第一原発の暴走に関してだけではなく、
原発のあらゆる事故は「過少評価」され、
場合によっては隠蔽されてきた。

3万人とも言われる故郷を棄てざるを得なかった福島の人々の日々はこれからどうなるのか。
そうして、「出ていくことも叶わなかった」人々の人生は。
また作付けできなくなった農家の苦悩は?
出荷停止にならずとも、「出荷できない」と自ら
判断した農家の人々のこれからは?
自主避難をした人々への「支援」は全くできないのか?
海開きを前にして、日本中の海に放射性物質は
飛散していないだろうか?
体育の時間のプールは?
ほとんどが日本がはじめて体験することだ。
だからこそ、過少評価をしてはいけないのではないだろうか。
きちんと調査をして、精度の高い数値を発表するのが
政府の責任であるのだが………。
海開きができなくなるのではないかと困惑している
観光地も、しっかりした調査をして発表したほうが
信頼されるようになると思うのだが。

なんとももどかしい。


6月30日
突然に激しい雨が降ったかと思ったら、晴れ間が見えたり、
空が落ち着かない木曜日の午後。
いまは17時25分。空は明るい。光も見える。
関東地方も梅雨明けが間近か、いよいよ本格的な夏のはじまり。
そういえば午後に降った雨も梅雨のそれというより、
夏の到来を告げるような雨脚の強いそれだった。
クレヨンハウスの向日葵たちは元気に育ってくれている。
夕顔の蔓も伸びて伸びて、さらに伸びて高く。

いまこのブログを書いているのは、クレヨンハウスの編集部の一角。
窓の近くに伸びた枝の葉(なんという樹だろう、楕円形の大型の葉だ)が
さっきまで降った雨で、さっぱりした「顔」をしている。
花は比較的詳しいが、樹木となるとさっぱり。
今年は、春から樹木についても学ぼうとしていたのだが。

大学生から相談を受けた。
彼女の妹さんは中学生。中学の体育の授業について、一家は悩んでいるという。
ホットスポットも近くにあるところで、
プールには入りたいが、水を頻繁に変えているわけでもない。
授業は、プールに入るかどうかは選択制になっているそうだが、
プールに入らず別の代替のクラスを選択すると、
採点は自動的に「B」になってしまうという。
姉である彼女は、妹たちはやむなく選択させられているのに、
「B」となるのはおかしいのではないかと思う、という。
確かに。

放射能について、こんなところでも悩む若いひとたちがいるのだ。
リアルタイムの福島第一原発のニュースが少なくなったと思うのは、わたしだけだろうか。
九州佐賀県の玄海原発は、政府の要請を受けて、再開が決まったという。

6月29日
猛暑の水曜日だった。

熱中症には要注意である。
たっぷりの水分はもとより、少しの塩分も。
炎天下に限らず、室内でも熱中症は起きるのだから、
しっかり水分をとろう。

格差社会の中。生活保護を受けていた女性の部屋から自治体がクーラーを取り去って、女性が熱中症で救急車で搬送されたのは、数年前のことだった。
去年は電気代が支払えずに電気が止められ、クーラーはあるけれど使えず、熱中症で亡くなった80代の男性もおられた。

この夏もまた同じようなことが起きなければいいのに、と祈るように考える。
この節電モードの中では、さらなる被害者が増えそうな予感がする。

今朝方、26日の深夜に毎日放送で放映された、映像’11「あの日のあとで~フクシマとチェルノブイリの今~」を観る。
京都大学原子炉実験所の小出さんや今中さんたち「熊取六人組」を紹介した08年に続き、同じ津村ディレクターの作品である。
………大きめに被害を見積もり、その結果、それほどでもなかった、よかった、というのが原発などの事故のときのスタンスであると考える。
にもかかわらず、現実は自体を小さく、小さく見積もっている………。

参議院に招致された席で、小出裕章さんは珍しく、ちょっと激しい口調で主張されていた。その小出さんの隣に坐っておられたのが、クレヨンハウスモーニングスタディズの8月27日の講師。後藤政志さん。
その向うには、ソフトバンクの孫さんのお顔も見えた。
が、この日のそれぞれのスピーカーの発言はわたしが知っている限り、関東圏のニュースや情報番組では報道されなかったようだ。
事故を「小さく見せようとする」東電や政府の姿勢は以前からずっと続き、そしてそれは、いまもって変わっていない。
酷いものだ。


6月28日
暑い一日だった。
小学生のときに見学に訪れて以来、国会議事堂はこれで何度目だろう。
今朝もバスで小学生が見学に訪れている。

朝から自民党の河野太郎さんと「原発」についての対談をしてきた。
ご存知のように河野さんは自民党で唯ひとり、一貫して「脱原発」を主張されている。
自らを「異端」と呼びながら。
いわゆる「核のゴミ」、高レベル放射性廃棄物をいかに処分するのか全くめどが立っていない状況で、
原発は存在してはならないというのが、彼の主張である。
対談にあたり、初当選(96年)以来の、原発に関する彼のインタビュー記事や、
話題の公式ブログ「ごまめも歯ぎしり」に改めて目を通した。

2000年の『論座』11月号では、彼は次のように述べている。
………大惨事が起きたり、生活を直撃するほころびが出て、
「もうダメだ」ということになるまで変わらないかもしれない。
そのとき、十何年前になんで別の選択をしなかったのか、
なぜこんなばかな道を選んだのか、ということが問われるでしょう……。

詳しくは、カタログハウス『通販生活』秋・冬号に連載中の『深呼吸対談』を。
あれから11年。まさに「大惨事」が起きてしまった。
そうして、その只中にわたしたちはいま居る! のだ。
昨日27日にも、福島第一原発では、循環注水冷却にまたもやトラブルが生じて、一時停止した。
そうして、こうしている間にも、行く先のない「核のゴミ」は生産され続けているのだ。
以前にこの欄で紹介した映画『100000万年後の安全』、そのままに。

憲法の解釈などや基地問題などでは、河野さんとわたしは立ち位置は違うところもあると思う。
が、「脱原発」、再生可能エネルギーへの社会への転換においては、同意見である。
起承転結の「結」の部分が曖昧でも、小説は書き始められる。
しかし、「核のゴミ」の行き場もないまま、「起承」を闇雲に推進し、
「転」と「結」で、わたしたちが暮す社会は、そしてわたしたち自身は苦悩の立ち往生をしているのだ。

文芸評論家川村湊さんの『福島原発人災記 安全神話を騙った人々』(現代書館)を読み終える。
リアルタイムの貴重なジャーナルである。


6月27日
新しい一週間がはじまった。
東京は今日も曇り空。時々小雨。
クレヨンハウスではいま、向日葵と朝顔、夕顔がぐんぐん育っている。
向日葵は寄せ植え用に、丈の短いものから1メートル50センチ以上になるもので。
朝顔は透明感のあるブルーの花が咲くヘブンリーブルーを。
純白の漏斗型の大輪の花を、夕暮れから開いてくれる夕顔も。
緑のカーテンはここ数年続けていることだが、今年は特に。
週のはじめ、新潟の知り合いから以下のメールが回ってきた。
             *
福島原発事故に関心のある方々に以下の転送のお願いがあります。
今月24日に、5年前の稼動中の志賀原発の差止を命ずる判決を書いた井戸謙一元裁判長にも
代理人の1人として滋賀から福島県郡山に出向いてもらい、福島地裁郡山支部に、郡山市を相手に
郡山市の小中学生14名が年1ミリシーベルト以下の安全な場で教育を実施するよう
求める裁判(仮処分)を申し立てました。

以下は、その映像と報道記事です。
放射線懸念 「学校疎開」求め申し立て(TBS News)
http://news.tbs.co.jp/20110624/newseye/tbs_newseye4759733.html
学校の集団疎開求め仮処分申請~郡山の子ら14名
http://www.ourplanet-tv.org/?q=node/1132
その他記事
http://news.google.com/news/more?pz=1&cf=all&ned=jp&cf=all&ncl=ds0xHD9CiaM9MrMJhRL97pZBijREM

また、この裁判の概要や趣旨は、提訴のあとの記者会見で読み上げた以下の声明文に 述べられています。
記者会見要旨
http://1am.sakura.ne.jp/Nuclear/110624PressRelease.pdf

提訴後の夕方、裁判所から連絡があり、
第1回の期日を、7月5日(火)午後4時半(予定)となりました。
問題はこの裁判の今後の行方ですが、以下は、長らく裁判官を経験してきた井戸謙一さんのコメントです。

「裁判所としては,何らかの救済が必要だと思っても,救済を求めているのが一部の親に過ぎず,
それによって,救済を求めていない多くの子や 親に重大な影響を生じうるような決定を出すのは,
出しにくいと思います。
すなわち,債権者になっているのは少数の親に過ぎないが,
これを支持するサイレントマジョリティがいることを示さなければ,
裁判所は積極的な決定は出せないと思うのです。
裁判所が最もナーバスになるのは市民の連合の力です。
そこで、当日、少しでも多くの方が、郡山支部の裁判所に集まっていただくようお願い申し上げます」。

以下、この裁判の情報です。
今回の裁判の焦点の1つはICRP勧告とECRR勧告のどちらが科学裁判の基礎になるかです。
当日の記者会見では、英国にいるECRR議長のクリス・バズビー博士からSkypeで会見に参加してもらい、
声明を出してもらいました。
これは6年前のイネ裁判提訴のときには想像もつかなかった科学者との連帯でした。
中東の民主化がようやく日本にも訪れるのを実感した瞬間でした。
また、バズビーさんには、7月に来日して、福島で精力的に講演を してもらうため準備を進めています。


★申立関係
仮処分申立書
http://1am.sakura.ne.jp/Nuclear/110624application.pdf
別紙「環境放射線モニタリング一覧表」
http://1am.sakura.ne.jp/Nuclear/attachmonitaring.school0601.pdf

報告書(債権者代理人柳原)
http://1am.sakura.ne.jp/Nuclear/110623kou1report.pdf

★報道関係
放射線懸念 「学校疎開」求め申し立て(TBS News)
http://news.tbs.co.jp/20110624/newseye/tbs_newseye4759733.html

学校の集団疎開求め仮処分申請~郡山の子ら14名
http://www.ourplanet-tv.org/?q=node/1132

その他記事
http://news.google.com/news/more?pz=1&cf=all&ned=jp&cf=all&ncl=ds0xHD9CiaM9MrMJhRL97pZBijREM


★申立の証拠資料・参考文献
報告書で取り上げた放射線量の測定値の資料
1、文科省、原子力安全委員会、原子力安全・保安院、共同作成
  「実測値に基づく各地点の積算線量の推計値」(甲2号証)(2頁の表の最上行、地点番号 89)
  http://www.mext.go.jp/component/a_menu/other/detail/__icsFiles/afieldfile/2011/06/09/1305519_0525.pdf
2、福島第一原子力発電所の20km以遠のモニタリング結果[平成23年4月5日(火曜日)10時00分時点](甲3号証)
  http://www.mext.go.jp/component/a_menu/other/detail/__icsFiles/afieldfile/2011/04/05/1304667_040510.pdf
3、福島県作成の「環境放射線モニタリング結果(平成23年4月5日~7日実施分)」(甲4号証)
  http://www.pref.fukushima.jp/j/schoolmonitamatome.pdf
4、原子力災害現地対策本部(放射線班)と福島県災害対策本部(原子力班)
  共同作成「環境放射線モニタリング調査結果(6月1日調査速報値)(甲5号証)
  http://www.pref.fukushima.jp/j/monitaring.school0601.pdf


★申立に対する科学者の声明
1、ECRR(欧州放射線リスク委員会)議長クリス・バズビー博士
  和訳
  http://1am.sakura.ne.jp/Nuclear/110623Statement-BusbyJ.pdf
  原文
  http://1am.sakura.ne.jp/Nuclear/110623Statement-BusbyE.pdf

2、ピッツバーグ医科大学放射線科の放射線物理学名誉教授アーネスト・スターングラス博士
  (核実験の死の灰〔放射性降下物質〕による被曝で世界の子供たちの白血病・
  ガン急増の事実を議会で報告し、これがきっかけで米ソ核実験停止条約が締結)
  和訳
  http://1am.sakura.ne.jp/Nuclear/110623Messag-SternglassJ.pdf
  原文
  http://1am.sakura.ne.jp/Nuclear/110623Messag-SternglassE.pdf

3、国際的な放射能汚染の専門家ローレン・モレ博士
  (ローレンス・リバモア核兵器研究所とヤッカマウンテン高レベル核廃棄物貯蔵所プロジェクトの
  内部告発をした元リバモア研究所員)

  和訳(準備中)
  原文(準備中)
  市民の、市民による、市民のための原発事故対策
  http://1am.sakura.ne.jp/DEW/Fukushima/info1.htm

どうか、どうかよろしく、とわたしからも。


6月26日
土曜日の広河隆一さんの講演を聞かれたかたがたからの
わたしに届いたメッセージをご紹介しよう。

★広河隆一さん。お加減が悪そうな中、
わたしたちのための講演、ありがとうございます。
チェルノブイリの写真を拝見し、お話を聞き、
そして福島を思い……思わず泣いてしまいました。
でも、私たちは行動しなければならないのですよね。
帰り道、一緒に参加したひとたちと話し合いました。

★チェルノブイリの原発事故のとき、私は13歳でした。
何も知らなかったし、その後も知ろうとしなかった。
どこの国にも、利益だけを考え動く
専門家や政治家がいるのですね。
チェルノブイリもFUKUSHIMAも同じです。
フォトジャーナリストとしての広河隆一さんのご活動に
心から感謝すると同時に、どうかご自愛ください、
という思いを強くしました。

★ブログか、あるいはどこかでのシンポジウムで
落合さんがおっしゃっていたのかは忘れましたが、
「地下議連」が動き出していますね。
この時に、まだ原発を存続しようとは、どんなヒトたちなのでしょう。
一市民として何ができるかを、しっかり考え、
行動していきます。
広河さん、どうかご自分の身体も大事にしてください。

★どんな危険も顧みず、命がけで現場に駆けつけるジャーナリストがいる。
自らの手と足を使って行動し、命を削りながら、
そこで目にし、捉えた事実を伝えてくださる。
誰にもまねのできない尊い行為のおかげで、
見過ごすことのできないたくさんの真実を知らせていただきました。
体調が悪いのにお話してくださり……感謝です。

★チェルノブイリの原発事故のとき、私は11歳でした。
いま、9歳と5歳の女の子の母として、またひとりの大人として、
医療に携わるものとしても、声をあげなくては、と考えています。
大学病院に勤務しています。
職場は、何事もなかったように日々動いています。
その中で、話が通じ合う友人とふたりで参加しました。
子どもたちは留守番です。
貴重な会をありがとうございます。企業として、このような
会を立ち上げることがいかにリスキーであるか、想像できます。
落合さん、どうかご無理されませんように。
それから広河隆一さん。検査をお受けになったのでしょうか。
一度お受けいただきたいです。
心に響くお話と写真、本当にありがとうございます。

ミズ・クレヨンハウスのスタッフからは
★会場からは時折り、すすり泣く声が聞こえました。
3月13日からの最も危険な数日間を福島県におられた
広河さんの体調を心配される受講生が多く、
閉会後3階(広河さんがご著書にサインをしてくださったミズ・クレヨンハウスのフロア))にて、
お声をかけている方々が見受けられました。
25年間のチェルノブイリを知ることで、福島原発事故の現状に重ね合わせ、
自分たちのこれからを みてしまったように感じました。
お客さまのアンケートからも、現実を知りつらくなったが、
泣くだけでなく、行動しなければと改めて思った、
という声が多かったです。

次回は、高木仁三郎さんたちと共に市民の目線で活動されてきた
西尾 漠さんを講師にお迎えする。


6月25日
クレヨンハウスが「原発をもっと知ろう」というテーマで始めた毎月二回の、
土曜のモーニング・スタディーズ。
ニ回目までは雨降りだったが、三回目の今回は梅雨の合間の薄曇り。
紫陽花が薄青の花をつけている。

今回の講師は、フォトジャーナリストであり、
「DAYS JAPAN」編集長、広河隆一さん。
「チェルノブイリから〜ニーナ先生と子どもたち」
「チェルノブイリ消えた458の村」などの写真集もある
広河さんの講演タイトルは、「チェルノブイリ25年、福島元年」。

チェルノブイリ原発事故後の、現地での取材写真の数々。
幼い子どもに乳をふくませる若い母親は、いまどうしているだろう。
すべてを悟ったような静かな諦観の表情を浮かべた少女は、
その写真をとった二か月後には、亡くなったという。

そうして、福島。
3月15日に最初の現地入りをし、以来六回、福島を訪れている広河さんのカメラは、
福島の「あの日と、あの日から」を過不足なく写しとる。

この反骨のフォトジャーナリストが見る世界のベースにあるのは、
すべての、それぞれの生命への畏敬の念であり、
それを侵害するものへの、真っ直ぐで熱い憤りであるようだ。

政府が「ただちに健康に影響はない」と言っていた頃、
広河さんが現地で測っていた数値の、なんと高かったことか。
大方のメディアが当初流した情報と比較してみるがいい。
自ら調べて報道したジャーナリズムはなかった、のだ!


6月24日
金曜日。
午前中は中央区での講演会。
女性たち手作りの「ブーケ祭」
10周年の記念の集まりだった。
20代から80代の女性までが大勢。
男性も少しおられた。

介護中のかた、介護を終えられ愛しいひとを見送ったかたがたも多く、
随分お声をかけていただいた。

もろもろの仕事の間にパソコンを見ると、
関西の知り合いから以下のメールが。
そのままご紹介する。

番組のお知らせです。必見!!
毎日放送「なぜ警告を続けるのか~京大原子炉実験所・異端の研究者たち」と同じディレクターで
6月26日(日)深夜1:20~2:20
映像’11「あの日のあとで~フクシマとチェルノブイリの今~」放送決定!!

未曾有の被害をもらたした東日本大震災。
これまで「絶対安全」といわれてきた原発も冷却機能を喪失し、
「メルトダウン」状態となり、今も大量の放射性物質を放出し続け、
収束に向けての苦闘が続いている。
目に見えない放射能は我々の生活に今後どんな影響を与えてゆくのだろうか。
事故直後から事故の重大性を指摘してきた京都大学原子炉実験所の小出裕章助教の話や、自ら福島へ放射線量を計りに行った今中哲二助教による、
飯館村の状況などを事故の発生から日を追って紹介するとともに、
25年前に起きたチェルノブイリ原発事故のその後を追って、
ウクライナやベラルーシの現状を取材。
晩発性の放射能障害の実態を伝えるとともに、
セシウム137を吸収する植物の栽培に実験的に取り組む「放射能とともに生きる」人々の姿から、
この先の時代をどう生きてゆくのかを考える。

2008年に毎日放送、津村健夫ディレクターが製作された
「異端の研究者たち………」の続編にあたるもの。
2008年に放映された番組も本当に完成度の高い、警鐘に充ちた素晴らしい番組だった。
その番組を制作された津村健夫ディレクターが、ひと月ほど前に
「これからウクライナやベラルーシに取材に行きます」とおっしゃっていた。
それが6月26日に放映されるこの番組だろう。
関東でも観られるのだろうか? 
とにかく関西のかたは必見、の番組である。
こういう視点と姿勢の番組が存在することが、福島第一原発の報道を通して、
メディア不信が囁かれる中で、とても頼もしく、心強い。


6月23日
哲学者、高橋哲哉の『国家と犠牲』(NHKブックス)を読み直している。
まさにわたしたちが直面している「いま」と重なる状況が、そこには描かれている。
以前から高橋さんの書かれるものを愛読してきた。

以前このブログでもご紹介した、5月に出版された週刊朝日緊急増刊『朝日ジャーナル』「原発と人間」にも高橋哲哉さんは「原発という犠牲のシステム」というタイトルで寄稿されている。

………山林と耕地と牧草地がうねるように連なり、
ところどころで名産の「飯舘牛」がのんびり草を食んでいる。
放射能汚染を知らずにこの村に来たら、
なぜ六千人の全村民がこの美しい村から出ていかなければならなのか、全く理解できないであろう。
原発とは何の関係もないこの地で、地道に農業や牧畜業を営んできた自分たちが、
なぜ突然、村を出ていかなくてはならないのか………。

飯舘村のひとびとの97パーセントが、
自分たちの人生の日々のほとんどを重ね、愛してきた村をあとにした昨日、
高橋さんの文章をもう一度読んだ。高橋哲哉さんご自身、福島で生まれ育ったかただ。

………少なくとも言えるのは、原発が犠牲のシステムである、ということである。
(略)犠牲のシステムでは、或る者(たち)の利益が、ほかのもの(たち)の生活(生命、健康、日常、財産、尊厳、希望等々)を犠牲にして生み出され、維持される。
犠牲にする者の利益は、犠牲にされるものの犠牲なしには生み出されないし、維持されない。
この犠牲は、通常、隠されているか。共同体(国家、国民、社会、企業等々)にとっての「尊い犠牲」として美化され、正当化されている。
そして、隠蔽や正当化が困難になり、犠牲の不当性が告発されても、犠牲にする者(たち)は自らの責任を否認し、責任から逃亡する。

犠牲にする者の「者」は漢字で、されるものの「もの」は平仮名で、記されている。
高橋さん独特の静謐なる憤りと告発の文章が心に響く。
原稿の最後に高橋さんは、20世紀はじめにデンマークの陸軍大将だったフィリップ・ホルムの提案を紹介されている。
もし、各国に次のような法律があれば、地上から戦争をなくせるとホルムが考えた提案である。
………戦争が開始されたら10時間以内に、次の順序で最前線に一兵卒として送り込まれる。
第一、国家元首。第二、その男性親族。第三、総理大臣、国務大臣、各省次官。
第四、国会議員、ただし戦争に反対した議員は除く。
第五、戦争に反対しなかった宗教界の指導者………。

このあとに、高橋さんは次のように続けておられる。
………戦争は、国会の権力者たちがおのれの利益のために、国民を犠牲にして起こすものだとホルムは考えた。だから、まっさきに権力者たちが犠牲になるシステムをつくれば、戦争を起こすことができななるだろう、というわけだ。

原発も相似形の犠牲のシステムを維持してきた。

………問題は、しかし、誰が犠牲になるのか、ということではない。
犠牲のシステムそのものをやめること、これが肝心だ
………という言葉で原稿は結ばれている。

高橋哲哉さんには、クレヨンハウスのモーニングスタディーズ、8月13日の講師をお引き受けいただいた。


6月22日
計画避難区域になった飯舘村で暮らす人々の避難がはじまった。
97パーセントが避難をすでに終えているという。

特に年を重ねた人びとにとって、
今までと違った環境での暮らしは平坦ではない。
母も住いが変わったところで、最初は見当識障がいになり
(病院でのことで、一週間ほどで回復したが)、
二度目の短期入院で確実に暮らしを認知する力が衰えていった。

暮らしを重ねた「いつもの居場所」こそ、ひとの心の「シェルター」だ。
その「シェルター」を奪われた悲しさ、喪失感、痛みはどれほどのものだろう。
記憶のシェルターでひと休みすることで、ひとは今日を明日に繋ぐことができる。
それを否定されたのが、住民たちであるのだ。

どうかどうか、ご無事で、と祈るしかない、のか。
これでもまだ、安全を確認したら、原発は再開だと言うのだろうか。


6月21日
わたしたちが、たとえば友人や知人と約束をしたことを違え(たがえ)たとき、
自己嫌悪にとらわれる。
自分を責めるはずだ。なぜ約束を守れなかったのだろう、と。
当然、謝罪をする。
そうして、なぜ違えてしまったのかを自分に問い、
被害を受けた相手が納得するまで話をするだろう。
相手が一応納得したとしても、そのひとの内に生まれた
「あのひとって、そういうひとなんだ」という不信感を、どうやったら払拭できるか、
ずっと考え悩むはずだ。自分がしてしまったことを悔やみつつ。
そうして、なんとかして名誉を挽回しようとし、同時に、
今後はこういった自己嫌悪に陥らないですむ自分をつくっていこうと、自身と約束をするはずだ。
それが、ひとというものだろう。

そこで、菅 直人首相である。

一時的にせよ、浜岡原発を止めたことは評価する。
自然エネルギーへの転換を示唆したことも、
電力会社が独占してきた発電と送電の分離に触れたことも、評価する。
それらと昨今、永田町に吹き荒れた「菅おろし」旋風は、全く別のストーリーではなかったはずだ。
しかし、ここにきて、どうした! 菅さん。
現在停止中の原発について、「安全対策が適切に整ったので、再稼動すべき」とは、一体、どういうことだ。
どんな神経をしているのだろう、と疑わざるを得ない。
福島第一原発では、作業に従事するひとたちが、
被曝の恐怖と闘いながら、この上なく劣悪な環境の中で働いている。
住民たちは、今後現れるかもしれない子どもたちの健康被害に苦悩の声をあげている。
期待をかけたアメリカ製の高度汚染水浄化装置は、作動してから僅か五時間でダウンしてしまった。
東電は相変わらず、腹立たしいほど淡々と想定外を繰り返す。
汚染水が溢れ出る(実際には、すでに溢れているのではないか)まで秒読み段階となったいま、
この瞬間のわたしたちの苦しみと恐怖と不安と不信を前にしながら、
「再稼動」などと、どうして言えるのか。ひととしての痛みはないのか!
全く理解できない。

「菅おろし」の裏には何かがあるはずだ。だから与したくないと考えていたが、
あなたは市民の苦しみなど全く考えない、非情のひとだったのか。
あまりにも無責任すぎる。
福島の大人たちが、かけがえのない子どもや孫を思って流す涙は、あなたには、伝わらないのか。
巷間伝えられるように、あなたはその場その場で思いつきを口にして、すぐに忘れることができるひとなのか。
なにが「安全宣言」だ。酷すぎる。


6月20日
はっきりしない空模様が続いている。
母がいた頃、こういった天候の日は水分の補給に苦労した。
暑い、のではなく、蒸し暑いのだ。
湿度が高いので、あまり喉の渇きを覚えないのだろう。
「飲みたい」という本人の意欲とは別に、かなり強引に娘は「水分補給」をしていた。
「水を飲む」ではなく、「水分補給」という言葉が、なんとも悲しい。
母は認知症も併発していたから、自分の体調を自分ではかることが難しかった。
その分、周囲が気をつけていなければなかったのだ。
ヘルパーさんや在宅看護の看護師さんたちと書いた連絡ノート。
本日の水分摂取量計、800cc、900ccの文字が目に浮かぶ。
被災地で暮すお年寄りも充分水を摂っていただきたい。
熱中症は室内でも起きるのだから。

北海道の友人から、京大原子炉実験所の小出裕章さんの講演会に参加した様子がメールで届いた。
大盛況であったそうだが、こんな時代がくることを、小出さんは望んではいなかったはずだ。
そのために、40年間、警告を発せられてきたのだが。
余談ながら、小出さんとメールのやりとりをしたとき、
「できたら、さん、と呼んでください」というフレーズがあったので、
以来、心からの敬意をこめて、小出さんとお呼びしている。

北海道には泊原発がある。
泊村には、毎日、海の温度を測って、原発に警鐘を鳴らし続ける男性もおられる。
紙芝居で、原発の危険性を訴えておられる、確か保育士をされていた方だ。
友人が、5/20のインターネット毎日ニュースを送ってくれた。
以下、送られてきた文言。

………北海道電力は20日、泊原発3号機(北海道泊村)で予定するプルサーマル発電用の
ウラン・プルトニウム混合酸化物(MOX)燃料製造に向けた検査申請を経済産業省に行った。
電気事業法に基づくもので、6月にも燃料加工を委託しているフランス企業が製造を始める。
早ければ12年度中に原子炉に装填(そうてん)・発電を開始する。
泊原発周辺の自治体などからは「問題はない」「時期尚早」と、賛否両論の声が上がった。
泊村の牧野浩臣村長は
「MOX燃料製造は以前からの計画であり(福島第1原発の事故後であろうと)申請は問題はない。
泊原発では福島のような事故は想定されないうえ、北電も緊急安全対策を講じている」
と理解を示した。
泊原発から約40キロ離れた黒松内町の若見雅明町長は
「時期尚早だ。福島第1原発は『安全だ』と言われていた構造体が壊れてしまった。
プルサーマル計画もより慎重であるべきだ」
と指摘した。
高橋はるみ北海道知事は
「福島第1原発事故で、MOX燃料の影響は明らかになっていない。
今後、MOX燃料に起因する課題が確認された場合、適切に対応していく」
とのコメントを発表した。
道幹部は
「道はまだ(試験運転中の)泊原発3号機の営業運転の是非さえ判断していない。
北電は営業運転よりも先の動きをしている」
と戸惑いの表情を浮かべ
「道民は『福島での影響の有無が明確になるまで、もうちょっと待てばいいのでは』と思うだろう」
と話した。
脱原発運動を展開する北海道平和運動フォーラムの長田秀樹事務局長は
「少なくとも福島の事故でのMOX燃料の影響を検証するまでは凍結すべきで、
スケジュールありきの北電の対応は道民の意識とかけ離れている」
と批判した………。

以下、友人のメールに戻る。
「この計画に対して、道民の中ではやはり疑心暗鬼がふくらんでいると私は感じています。
今日の質疑でもこの不安が語られていました。
(福島原発のMOX燃料の影響も、なんだかうやむやに隠されてしまった感があり)
上田札幌市長はこれに対し、6/16にプルサーマル計画を「凍結すべき」との見解を出しています。
道内の弁護士らが泊原発を止める運動も立ち上げており、お会いした弁護士は、
「とにかく泊を止める!」ことから始めると話していました。

わたしも呼びかけ人のひとりである「1000万人の署名活動」。
年齢制限なし、の署名である。よろしく!

6月19日
午前中に大急ぎで二つの仕事をすませ、そのあと、上京した友人とクレヨンハウスでランチを。
40数年前からの友人だ。
学生生活とその後に続く数年を東京で暮らした彼女だが、そのあとは帰郷し、小さな店を営んでいる。
彼女が暮す小さな町の町長選。いつから、とも思い出せないほど、余りにも長く続いた「主流派」の独裁とも言える町議会に、いかに新しい風を起こしたか。そんな話題に
熱くなった。
Other voices、という言葉がある。
主に80年代のアメリカの文学シーンで使われた言葉だが、「周辺の声」たちと訳してきた。
社会の真ん中を流れるmain stram,「主流」の声=価値観ではない。周辺の声=価値観の担い手は、主に高齢者や女性、子どもたち、そして彼女たちの存在にセンシティブな男性たちである。長い間、この周辺の声は、周辺に固定されてきた。アメリカの文学シーンでも、そういう意味に使われてきた。
たとえば白人中心社会における、アフリカ系アメリカ人やマイノリテイの書き手の「声」というように。
たとえば男性中心社会における、女性の声というように。この言葉と、この言葉が意味する存在に深く共感しながらも、一方でわたしは考えてきた。
周辺の声が、主流の土俵の、ほんの片隅に留め置かれている限り、社会構造は変わらない、と。

そうしていま、わたしたちは新しいPERIODを迎えた。
今朝の新聞に、「原発82%が廃炉求める」(東京新聞)の文字が。


6月18日
今日も雨。
少々疲れている。
次に起きるかもしれない諸々を想定して(「想定外」なんて言いたくない)、
いますべきこと、明日に回してもいいこと、来週頭にすべきこと、連絡事項
などをリストアップして………。とにかく、後手に回らないように、計画倒れに
ならないように、と自分と約束してやってきているのだが……。
この疲れは、身体的なものというより、心理的なそれのほうが強いのかもしれない。

東日本大震災、そして原発暴走から100日。
今日は港区の男女共同参画社会の講演が。
みな、不安であるのだ。みな、何かしたいと思っているのだ。実際、果敢に何かに取り組んでいるひとも多い。何かに取り組めば、必ず目の前に立ちはだかる壁を見つけ、しゃがみこみたい気持ちを苦々しく味わうこともある。
何もしないことのほうが楽であり、同時に苦しい時代でもある。
それでも、なんとしてでも、と子どもを護ろうとしている女性たちも会場にはおられた。

ひとはみな、未完の存在だ。
未完の人間という存在が完璧なものを作れるはずはない。
そういった意味で、ひとの中に、ひとが作るものに、「絶対」などという
言葉を使ってはいけないのだ。
ひとがかかわるものに、そもそも「絶対」などないのだ。
………絶対を言うひとほど、わたしをうんざりさせるものはない………。
今は亡きF・サガンの小説の中に、そんなフレーズがあった記憶がある。
 そうなのだ。「絶対」は、絶対ないのだ。絶対を使えるのは、こういった
場合だけだ。
 3月11日から繰り返された、山ほどの「絶対」という約束のほとんどは
破られ、濡れそぼち、路上に置き去りにされたまま、だ。

ようやく日本赤十字社と中央共同募金会が、東日本大震災に国内外から
寄せられた義捐金の第二次配分を実行した。
遅い。すべてが遅すぎる。

亡くなった先輩ジャーナリストがよく紹介されていたエピソードに
次のようなものがある。
………あなたはジャーナリストだ。その、あなたは戦場にいる。
その、あなたの前で、爆撃がはじまる。
銃弾をくぐるようにして、ひとりの子どもが裸足で逃げてくる。
あなたが手を差し伸べれば助かるかもしれない。
あと三十メートル、二十メートル。
そのとき、あなたはどうするか!
助けられるかどうかはわからかないが、その子に手を差し伸べるか。
手を差し伸べたら、あなたは諦めるしかない。写真を撮ることを。
手を伸ばすことを諦めて、あなたはカメラにその子をおさめるか。
どちらかひとつしかない崖っぷちで、あなたはどちらを選ぶか。
写真を撮れば、あなたはそれを世界中に配信し、この悲惨な戦争をとめる
きっかけを作ることができるかもしれない。そうして、結果的に何万もの
人々を救うことができるかもしれない。ヴェトナムの戦場で、カメラを構え、記事を
書いたジャーナリストのように。
この問いは、実際、アメリカの大学のジャーナリズム科の講義で行われたものらしい。
ひとりを助けるか。ひとりを棄てて、大勢を助けるために、カメラに収めるか。
それはそのまま、自分のミッションを、どこに置くかという問いでもあるだろう。 
職業人としての自分と、ひとりの人間である自分と。
わたしはやはり目の前の子どもに手を伸ばすだろう。たぶん、それしかできない
に違いない。
なぜか、亡き先輩ジャーナリストから聞いた、このエピソードが頭の中でぐるぐる
回る夜。
今夜は少し眠りたい。


6月17日
小雨がちな一日だった。
今日は9時30分から19時まで、民放連のラジオ番組の審査を。
不況で広告収入もダウン。制作にかかわる人数も決して多くはないであろう地方局で、
なんとか充実した番組を、とそれぞれが踏ん張っている。
この大震災でラジオの力が見直されている。
はじめて就職した先が民放のラジオ局だったわたしにとっては、
毎年のことながら、懐かしくもいい時空を、今年も体験させてもらった。
福島の局からは、福島在住の詩人、和合亮一さんのツイッターを軸とした番組が。
和合さんには、クレヨンハウス発行の「クーヨン」6月号でも寄稿していただいている。
原発暴走の後、お子さんたちとおつれあいは「疎開」。
和合さんはご両親と福島に残ったとおっしゃっていた。
 
3・11以前に制作された番組と3・11以降に制作された番組は、明らかにトーンが違う。
どちらがいいといった問題ではなく、わたしたちはいま、
3・11以降を生きているということだ。
 
原発にさようなら集会と原発にさようなら1000万人署名のお知らせです。
6月15日に記者会見がありました。わたしは以前から入っていた仕事があり、参加できなかったのですが。
ホームページをご覧ください。
「さようなら原発 NO NUKES」
http://www.peace-huorum.com/no _nukes/
(署名用紙もダウンロードできるそうです)
呼びかけ人 内橋克人、鎌田慧、坂本龍一、澤地久枝、瀬戸内寂聴、辻井 喬、鶴見俊輔、落合恵子

6月15日
原発を停止した場合、標準家庭の毎月の電気料金
「1000円はねあがる」、というニュースが流れている。
「日本エネルギー経済研究所」の試算だそうだ。
これって、脅迫ではないか。

現在、日本にある原発54基のうち35基が稼動停止。
来年春までには残りも定期検査に入って、稼動が停止になる可能性はある。
そこで火力発電がフル稼動になると、燃料をはじめとして天然ガスなどの
調達コストが増えて、電気料金アップとなるということだが、
原発の再稼動のためのキャンペーンではないか。

日刊ゲンダイ6月16日付けでは、立命館大学国際関係学部の大島堅一教授が
一キロワット当たりの発電コストについて次のようなデータをだしておられる。
「原子力が10・68円
 火力   9・9円
 一般水力 3・98円」
〔有価証券報告書の実績に税金負担分を足して計算〕
さらに大島氏は次のようにコメントしている。
「問題は数字をどう読むかです。原発は燃料コストだけでない。管理などに
巨額の費用がかかる。それに、稼動率でいうと、原発ほどあてにならない
ものはない。(略)そもそも原子力を過度にかいかぶった結果、再生可能
エネルギーの研究や燃料費の努力を怠り、安全性のチェック、防災対策を
おろそかにして大事故を招いた。これも膨大なコストです。
来年は大きく稼動率が下がりますが、管理などの費用は変わらないため、
発電コストはさらに膨れ上がるでしょう」
 
6月15日13時より市が谷アルカディア(旧私学会館)で、
内橋克人さん、澤地久枝さん、鎌田慧さんたちが「原発にさよなら集会」の
記者会見を。お誘いを昨日いただいたのだが、わたしはほかの仕事があって、
参加できなかった。
詳しい内容は改めて発表されると思う。送っていただいたチラシには次のような文言が。
「原子力と人間の共生など、けっしてありえないことなのですが。
それに気づいていながらも、私たちの批判の声と行動があまりにも弱かった、と深く悔やんでおります」
「わたしたちは、自然を収奪し、エネルギーを無限に浪費する生活を見直し、
自然エネルギーを中心とする『持続可能な平和な社会』にむかうために行動します。その目標です。
 新規原発建設計画の中止
 浜岡からはじまる既存原発の計画的廃止。
 もっとも危険なプルトニウムを利用する「もんじゅ」、「再処理工場」の廃止。

「原発にさようなら集会」の開催。
日時   2011年9月19日
場所   明治記念公園
集会規模 五万人(集会後、パレードがあります)

さて、今日の記者会見の模様が、各メディアでどのように報道されるか。
あるいは報道されないか。
しっかりチェック!

詳細は追ってまた!

6月14日

 今日は北九州へ。
一昨日大分だったのだから、もう少し余裕があるなら、
日曜に一泊して、月曜は九州の温泉で少し休み、火曜日は講演というスケジュールも組めるのだが、
バタバタと日帰り、そしてまた先方へ、が続いている。
本当はもう少し余裕のある日々を送るはずだった2011年上半期だが、そういうわけにはいかない。
移動の最中も、原発関連の本ばかり読んでいる。
読んでいなかった本がたくさんあった、と痛感。
不幸な日々の中で、しっかりとした知識を身につけることのかけがえのなさを体感している。
『まだ、まにあうのなら』の著者、甘蔗珠恵子さんから、いたいだたファックスの中に、チェルノブイリ原発の事故の後、わたしがどこかに書いたか、あるいはラジオで語った言葉が記されていた。
本人もすっかり忘れていたのだが、甘蔗さんは、、講演などで使ってくださっていたという。

………知らされなかった
知らそうとしなかった
知ろうとしなかった
そのつけを ひとりひとりのわたしが
自分で背負うことからしか
再びの一歩を踏み出すことはできない………

25年前と、24年間。
原発を推進する側はまったく変わらぬ姿勢を維持し、
わたしも含め、おおかたのわたしたちも同じような日々を送っていたのだと再確認させられている。痛い。
二度と繰り返さないと自分と約束しながら、手書きの甘遮さんのファックスをバッグの中に入れて旅を続ける。


6月13日

イタリアの原発再開に関する国民投票の結果は、どうなっただろう。
朝刊が休みなのと、テレビでもまだ確認できていない。結果はもう出ているはずだが。
一度、国民投票で原発を止めたのに。
こうして、政・財界等は再開の時期をいつも虎視眈々と狙っている、ということである。
イタリアの政治の詳しいシステムはわからないが、官僚や御用学者もやはりいるのだろうな。
虎視眈々はむろん、この国も例外ではないだろう。油断禁物。

昨日の大分での講演会。摂食と介護・看護がメインテーマだったが、
海を越えて伊方原発に反対をしている女性たちも来られていた。
まっすぐな目をした素敵な女性たちだった。

「別府の近くまで来て、温泉にも入らないなんて」と主催者のかたが惜しんでくださったが、
いまはその余裕がない。
ところで、被災地のお風呂は、充分か? せめて手足を伸ばしていただきたい。
介護をしていた母は、ひとりで入浴できなかった。
最初はわたしが一緒に、見送る前の数年間は、入浴サービスをお願いしていた。
母と同じ状況のかたが被災地にも少なからずいらっしゃる。そのことが気になって………。
母の遺影の前にいつも飾っている花を、買い忘れている。

クレヨンハウス朝の教室に参加した「まちこ」さんから次のようなメールが回ってきました。

      *    *    *              
6・11全国各地で集会やデモが開かれました。
私も新宿中央公園からデモ行進に参加しました。(中略)
福島で、原発の老朽化を心配して地元で廃炉の活動をしていた うのさえこさんは
事故後、娘さんと福岡に避難しています。
6・11広島の集会に参加されたうのさんは、原爆ドームの前で次のようなお話をされました。
すばらしいメッセージなので多くの方に読んでほしいと思い、送らせていただきます。
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福島原発震災が起きて3ヶ月が経ちました。
この3ヶ月、全ての人が、ひとりひとり、懸命に生きてきました。

目を凝らしましょう。見えない放射能に。4月5日までに放出された放射性物質は63万テラベクレル。チェルノブイリ事故の3分の1、広島原爆約200個分の放射性物質が環境中に解き放たれてしまいました。そして毎日、空へ、海へ、大地へ、大量の放射能が流れ出ています。それは生き物に入り込み、蓄積しています。

目を凝らしましょう。今、生命を削りながら必死の作業を続けている人たちがいます。年間被曝限度はこれまでの5倍に引き上げられました。線量計も足りず、内部被曝の検査もされず、大量の被曝を強いられ、恐怖と疲労の中で、私たち社会の命運を賭けて働く人たち。愛する息子が今日も原発復旧作業のために家を出て行くのを、たまらない気持ちで見送る母親がいます。

目を凝らしましょう。今、たくさんの人々が、被曝を強いられて生活しています。チェルノブイリ事故後、強制避難区域となった地域と同じレベルの汚染地域で、人々が普通の暮らしをするようにと求められています。
赤ん坊も、子どもたちも、放射線を浴び、放射性物質を吸い、飲み込み、暮らしています。
学校に子どもを送り出した後、罪の意識にさいなまれ、涙を流す母親がいます。

大人たちは、子どもたちを守るための方法を必死に探しています。年間20ミリシーベルトという途方もない値。親達は教育委員会にも行き、県にも市町村にも、そして厚労省にも行き、不安を訴え、子ども達が被曝から守られることを求めました。自ら放射線量を測り、校庭や園庭を除染しました。防護のための勉強会を開きました。給食は安全なのか、プール掃除は、夏の暑さ対策は、これまでの内部被曝量は・・・考え付く限りのことをやっています。子どもを疎開させた親もいます。情報が錯綜する中、家族の中に、地域の中に、衝突や不和が生じています。

耳を澄ましましょう。赤ん坊の寝息、子どもたちの笑い声に。この世界を信頼し、裸で産まれてくる赤ちゃん、世界の全てを吸収して日々成長する子どもたち。私たち大人はそれにどう応えるのでしょうか。

耳を澄ましましょう。木々のざわめき、かぐわしい花に集まる虫たち、海を泳ぐ魚たち、山や森に暮らす動物たち・・・生きとし生けるもの全ての声に。

耳を澄ましましょう。まだ生まれぬ生命たちのささやきに。私たちの生命が希望を託すこの小さな声たちがなんと言っているのか、聞き取れるでしょうか。

耳を澄ましましょう。生きている地球の鼓動に。私たちは、動く大地のうえに街を建て、一瞬の生命をつないで生きてきました。次の巨大地震はいつ、どこに来るのでしょうか。

耳を澄ましましょう。自分の心の声に。

私たちの故郷は汚されました。
もう二度と、3月11日以前に戻ることはありません。
海にも空にも大地にも、放射能は降り注ぎました。

私たちは涙を止めることはありません。
こんなに悲しいことが起きたのですから。
心から泣き、嘆き、悔やみ、悼みます。
私たちは涙を恐れません。
私たちが恐れるのは、嘘です。幻想の上に街を再建することです。人々が被曝し続けることです。そして声なき無実の生命たちの未来が、失われていくことです。

私たちは変化を恐れません。
恐れるのは、悲劇を直視せず、悲劇を生み出した社会に固執し続けることです。
大きなもの、効率、競争、経済的利益、便利さ・・・そうしたものを、私たちは問い直します。
科学も数字も全て、私たちの生命のために奉仕するべきであって、逆ではありません。

私たちは、別のあり方を求めます。無数のいのちの網目の中で生きる、私たち人間のいのちを守る、別の価値観と社会を求めます。
私たちの中の「原発」に、私たちは気づいています。
私たちはそれを、乗り越えていきます。
私たちは声をあげ続けます。
私たちは、行動し続けます。
人間性への深い信頼を抱き、限界なく、つながり続けます。

再び、目を凝らしましょう。未来の世界に。人々が放射能におびえることなく、被曝を強いられることもなく、地球という自然に調和し、つつましく豊かに暮らす世界の姿に。

今日皆さんと歩む一歩一歩の先に、そうした未来があると信じています。

広島市 原爆ドーム前にて
2011年6月11日 うのさえこ


6月12日
飛ぶか飛ばぬか。
朝の羽田空港で、多少の混乱。
「大分空港雷のため、福岡空港または大阪伊丹空港へ向かうことがあります」
という条件付で出発。けれど、無事に大分着。

「摂食と介護についての集まり」で話を。
母のことを思い出す。
正確に言うなら、思い出すためには、
一度忘れなくてはならないのだから、思い出したわけではない。
いつも、考えている。
被災地のお年寄りは……、そして、福島のお年寄りは……。
激しい雨の中、90代の方も集まってくださった。

お年寄りと子どもに共感のある人間関係と社会を!
社会と時代が「周辺」に追いやってきた声をいまこそ、真ん中に据える活動を!


6月11日
あの日から、三か月がたった。
なんという、三か月だったろう。
人生のすべてが、いままでと全く変わってしまった。
生きることの原型のようなものだけを支えに、
今日を明日につむいでいるような日々である。
腹に力が入るのは、ひとりひとりのいのちのかけがえのなさに
鈍感なものやこととぶち当たったときだけで、
心の片隅には埋められない洞のようなものが、ぽっかりとあいたままである。
この洞が埋められる日がくるのだろうか。時々むしょうに泣きたくなる。

土曜日は朝九時から、原発とエネルギーを学ぶモーニング・スタディの、二回目があった。
食品と放射能というテーマで、安田節子さんを講師にお迎えしての1時間半。
一回目も雨の土曜日だったが、今回もまた。
とても具体的でわかりやすいお話と、いのちをつくる有機食材への愛情と、
生産者と消費者、その双方への深い共感と。
そうして、放射能をおそれなくては生きることのできない「現在」をつくったものへの怒りをも、
とてもデリケートに、けれど骨太に語ってくださった。

質疑応答の時間が終了しても質問は続き、
地下の会場から三階のミズ・クレヨンハウスのフロアに場所を移してのご対応に、
受講生一同感謝、感謝。
できるだけ早い時期に一冊のブックレットにまとめたいと考えている。
 
クレヨンハウスの野菜市場は悩みに悩みぬいた末に、
しばらくは、西日本の生産物を選んで店頭に並べることとした。
東日本の生産者のかたがたのことを考えると、ほんとうに心痛む。
特に安全で安心な食材のためにがんばってこられたかたがたである。
どんなに悔しいだろう。どんなに無念だろう。
それでも子どもたちや妊婦さんたちの安全は、
なんとしても確保したおきたいという思いもあって……。
心を二分されながらの決断である。

生産者も消費者も、わたしたち八百屋も苦悩する。
こんな理不尽なことがあっていいものか。
『出荷停止』となれば賠償もされるが、出荷停止にならなくとも、
出荷しにくい、出荷したくない、
不安のある野菜たちを抱えた生産者をサポートするために、
消費者も一緒に、東電と政府に買わせよう。
ちゃんと落とし前をつけさせよう。
そんな次なる行動の勇気もいただけた講演だった。

日曜日、イタリアでは原発の再開の是非を問う国民投票がある。
反対派が優勢といわれているが、
投票率が五十パーセントを下回ると無効であるという。
日本でそれを実行した場合、原発全廃の結論がでるだろうか。

6月10日
午後一番に群馬県女性センターで講演。
テーマは、「女の啖呵……女たちはいかに自分の言葉を獲得したか」。
イギリスの女性詩人ミズ・スティヴィー・スミス、詩人石垣りんさん、
歌人であり小説家でもある金子きみさんらの作品に触れながら、
女性が自分の言葉で自己を、そして他者を、また他者と自己のあいだに通うもの……
を表現してきたかの話を。
言葉を獲得した女性たちは銘々、自分の言葉で語り、記し始める。
21世紀を生きる女たちもまた。

金子きみさんの短歌に次のような作品がある。
……人間がどれほどのものか と 梅雨の晴れ間を孕み猫 公然と行く
ほんとうに、どれほどのものか、人間は、
とテーマが脱線、しばらくは原発の話に。

受講生は五十代、六十代の女性が多かったが、
みな、現在の原発についての当局の発表や、
それを受けての報道に懐疑的になっていることは確かだ。
なにかが隠されている、何かが正確ではない、と。
ただ、それら靄のような疑念と、実際、自分がどう行動したらいいのか。
その間に「溝がある」とおっしゃっていたかたもいた。
1時間45分の講演を終えて、高崎駅へ急ぐ。駅のお弁当屋さんを見て、思い出した。
あ、今日は朝ご飯、食べてなかった! お昼もまた! 
それでもあまり空腹をおぼえないのは、少々疲れ気味だからかもしれない。
コーヒーをたて続けに飲んで資料を調べたり書いたりしていて、
朝ご飯を食べないまま家を飛び出してしまったことも忘れていた。
高崎なら、鶏飯か。一瞬迷って、久しぶりに峠の釜飯を購入。 
16時過ぎのブランチとなった。
東京駅から新お茶ノ水の全電通ホールへ直行。

たんぽぽ舎と週刊金曜日共催のシンポジウム。
福島からの女性三人のレポートに胸が熱くなる。
北海道に子どもたちと一緒に「家族疎開」する女性。
子どもを被曝させてはいけないという思いを口にすることにも躊躇した日々を経て、
「わたしがそのモデルになることで、ほかのひとたちの弾みになれば」。
それでも大好きな福島を後にするのは悲しく、やりきれない、と。
ご一緒した佐高信さんから新刊をいただいた。『原発文化人 50人斬り』。

シンポを終えて外に出ると、雨。
明日の土曜日、クレヨンハウスで二回目の原発とエネルギーを学ぶ早朝講座。
今回のテーマは安田節子さんの「放射能と食べ物」。
一回目の朝も雨だったことを思い出す。
22時に会社に戻り、このブログを書いている。

今朝の東京新聞の「こちら特報部」には、地下原発議員連盟の特集が。
未曾有の危機を目の前にしながら、こうである。
たとえ地下に原発を作っても、核のゴミの処理ができないことに変わりはないのになあ。


6月9日
トマトが鮮やかなトマト色に輝いている。
トマトをトマト色、と呼ぶ以外に、どう呼べばいいのだ?
赤でもないし、朱色でもないし、やっぱりトマトはトマト色だ。
有機食材をあつかうクレヨンハウスの「野菜市場」には、
いま熊本県沢村さんの見事なトマトが、
緑色野菜と並んで、「ここにいます!」、見事なトマト色を放っている。
それに旨い! 
サラダにしたり、そのまま自然塩をふりかけてかぶりついたり、
パスタにしたり、ズッキーニといっしょに焼いたりして、
毎日毎食(昼は外食になってしまうが)食べている。
あまり手の込んだ料理より、
うまい野菜は、素顔のままで食べるのがいちばんいい。

「トマトが赤くなると、医者が青くなる」という諺がイタリアにあった記憶がある。
トマトのもっている力が、ひとの免疫力やらなにやらをアップしてくれるという意味だ。
今朝も出がけに、トマトとレタスとスライスしたタマネギのサラダをもりもり食べた。
ボイルしたヒヨコ豆をトッピングして。
こうして、有機野菜を頬張るたびに、大震災が起きた直後、
福島で自死された有機野菜の生産者を思う。
どんなに無念だったろう。どんなにか悔しかっただろう。

有機農業は、土がいのち、と言える。土と会話し、土と共に育ち、生産者は生きる。
その土を汚染され、土との会話を分断された彼の無念さは、
そのまま有機農業と向かい合う、
すべてのそれぞれのわたしたち(生産者、流通、そして八百屋)の無念さであり、憤りである。
福島の農家をはじめ、多くのかたが田を畑を汚染された現実に、立ち竦んでいる。
西日本の生産物をいまは積極的に並べているわたしたちも、泣いている。
東日本の生産者をどうやって支援できるか、と。
 
今週の土曜日で、震災と原発暴走から三ヶ月。
原発は、こうして生産者や小売まで、そこにつながる消費者まで破壊した。
村を、町を、住民のネットワークを、分断している。
一方、被災地では新鮮な野菜が食べたいという叫びが。
 
金曜日は18時から、たんぽぽ舎と編集委員をつとめる「週刊金曜日」の共催講演会がある。
評論家の佐高 信さん、たんぽぽ舎の山崎久高さんとご一緒に。
福島からも、ふたりのおかあさんが参加して、やむにやまれぬ現状についてメッセージを発してくださる予定だ。
 
子どもたちを救おう 福島から、ふたりのおかあさんの訴え
6月10日(金) 18時~
場所 東京・全電通ホール 予約なし(先着順)
お問い合わせは、03-3221-8521



6月8日

一日中、はっきりしない天気だった。
ふっと思い出したように、淡い青空が見えるときもあったが、
小雨も散らついた。蒸し暑い。すっきりしない。
ただでさえ心晴れない日々が続いているのに。

被災地の子どもたちの中には、今もって小さなパック入りの牛乳1本と
パン一個を、お昼の給食として摂るしかない子どもがいるようだ。
「おなかすくけど、しょうがないや。がまん、がまん」
子どもの血肉は、「いま」作られるものであるのに。
放射能を警戒して、締め切った教室で学ぶ子どもたち。
外を自由に走り回れないことが、どれほどのストレスになるだろう。
遊びを通して、子どもは成長するのに。

置き去りにされる子どもたち。

選挙で反原発を主張する政党が大きく躍進した、この春のドイツ。
昨年、原発の運転延長を決めたにもかかわらず、脱原発へと方針を転換して、
2022年までに原発全廃! が閣議決定された。
むろん福島第一原発の暴走を受けてのことである。
民主主義が機能する、というのは、こういうことを言うのだろう。
もともと原発推進派の政権であっても、選挙の結果(市民の意志)で、
政府はこんな風に動かざるを得ないのだ。

一方、ドイツ政府に歴史的な方向転換を迫った原発暴走のおおもとの国では、
大連立だ、大増税だと、政治家は走り回っている。
まるで、大震災も原発暴走も
こか遠くの、ほかの国のことであるかのように。
被災者などひとりもいないかのように。

この、痛みのなさはどこからくるのだろう。
この、想像力の欠如は一体、何なのだろう。
ひとと他の動物を分けるもののひとつが、想像力ではなかったか。
その想像力を眠らせ、ひたすら政争に明け暮れる大方の政治家に一票を投じたのは……?

国民はその民度に見合った政治しか持てない、という言葉を噛み締める夕暮れ。
いつもの道の垣根に、淡い紅色の紫陽花が咲いている。


6月7日
なんとアンフェアなことなのだろう。
なんと勝手なことなのだろう。
なんと無責任なことなのだろう。
わたしが子どもなら、たぶんそう思うだろう。
たぶん、ではない。心から、そう思うだろう。

子どもは、それを決めることはできない。
子どもは、それを選ぶこともできない。
にもかかわらず、子どもは、それを受け入れなくてはならないのだ。
受け取らざるを得ないのだ。
ずっとずっとずっとずっとずっとずっと
子どもの、そのまた子どもの、そのまたまた子どもの、そのまたまたまた子どもの、
何百年もさきの子どもまで、
自分が選ばなかったモノを、自分が決めたのではないコトを、
遺産として受け継いでいかなければならないのだ。
いらない、と言うこともできずに。
どこかに捨てることもできずに。
蹴飛ばすこともできないで。
ずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっと……。
何万回もの「ずっと」の先まで、持ち続けなくてはならないのだ。
核のゴミを。

何かに迷ったときは、うしろから考えるのだ。
うしろの正面だーれ?
うしろのうしろのうしろのうしろの、最後のうしろ……。
核のゴミの処理法をわからないまま、作ってしまった原発。
なんと勝手な、なんと無責任な、なんとアンフェアな大人たちだろう。

原発を選ぶということはね、戦争を選ぶっていうことなんだよ。

原発を推進するために設けられた、子どもの原発ポスター展の真逆の思想と姿勢から生まれた、脱原発ポスター展。
なかなかの力作揃いだ。ちょっと覗いてみないか!
http://nonukeart.org/


6月6日
久しぶりに、クレヨンハウスのすぐ近くの美容院にいった。
「ご無沙汰でしたねえ。姿はときどきお見かけしましたが」
担当をしてくださる若い女性美容師から言われた。
なにせ彼女のお母さんは48歳だというのだから、若い。

「この前、来たのはいつだったかしら?」
覚えていないのだ。
3月11日以降の、特に暴走中の原発に、
いつ、誰がどんな説明をし、何をしたかはメモがなくとも言えるほどだが、
私的な暮らしのあれこれとなると、まったく記憶がない。
それほどまでに、わたし個人にとっては衝撃的な暴走事故だと言える。
それも未だに現在進行形、ゴールは見えない暴走である。
「この前は、確か1月でしたよね。暮れに来たかったのだけど、時間がなくてって1月に」そうだった。1月に来て、今度カットしてもらうのは3月か4月だと思っていたのだ。

それが突然にやってきた「3・11」。
それに続く福島第一原発の暴走。
当局は正確な情報をわたしたちに伝えているとは到底思えず、
テレビの画面には、従来の安全神話から安心神話に乗り換えた専門家が
次々に登場しては、わたしたち市民を愚弄し続けた。

その間にもHUG & READ を立ち上げたり、原発やエネルギーシフトや、外部被曝と内部被曝、放射能と特に子どもたちへの影響の資料を徹夜で読み漁ったり、市民目線の原稿をあちこちに書いたりと、瞬く間に3月、4月、5月が過ぎていった。

講演や顔が写る仕事もあるのだから、美容院に行かなくては、
という思いも心の片隅にはあるのだが、
「そんなこと、どうでもいい!」、
「そんなこと、やってるときか!」
そういった気持になっていた。

さすがに今日はもうこれ以上放っておけないと、
6月末に小学館より発行する『孤独の力を抱きしめて』
の再校ゲラを手渡してほぼ6か月ぶりに美容院に。
ようやくいつもの「怒髪パーマ」に戻ったというわけである。
このドレッド風「怒髪パーマ」は、母を自宅で介護していたおよそ7年間、
もっとも手間暇かからないのでしていたのものだが、
パーマも伸びてしまい、もっともわたしが怒髪状態のときに、
怒髪でなくなっていたのだ。

怒髪に戻って、さあ、さらに憤ろう。告発しよう。
怒髪になるまでの1時間半。
美容院の椅子で、クレヨンハウスの早朝講座でも講師をお引き受けいただいている、
ルポライター・鎌田 慧さんの『原発列島を行く』(集英社新書)を読み返す。
初版は2001年。本書の中に登場する脱原発の活動と取り組んでおられるかたがたは、
この2011年3月11日以降をどんな思いで迎えておられるだろう。

あらためて、怒髪と対面する6月。

この不安と恐怖と悲嘆を、わたしたちは決して決して忘れてはならない。


6月5日
「大震災被災者数」 死者 1万5355人 行方不明 8281人
今朝の新聞に記された数字である。数字は数字でしかないのだが、
わたしは毎朝、「ひどすぎる!」と憤慨する。

仮設住宅の入居に応募し、「運良く」あたったひとの何割かが入居していない、という報道がある。
入居してしまうと、そこから暮らしは「自己責任」となり、避難所にはあった食事やその他の支援がなくなるからだ。
これくらい、なんとか支援できないのか。

さらに、仮設住宅そのものがまだまだ目処が立たないまま、
避難先で暮らしているひとも少なからずいる。
家を失い、船を失い、田畑を失い、家財を失い、地域の繋がりを分断され、
なによりも愛する家族を失ったかたがたが大勢、
放置されたままで今日を明日に強引に繋いでいるのだ。
我慢の強制、である。

3月11日のあの瞬間、そしてそれに続く日々。
かつて体験したことのない衝撃と喪失と悲しみと憤りの中に、
放り出されたひとたち(子どもも大人も)は、この間、
ご自分の感情を、丸ごと吐露できただろうか。
このところ、それが気になって仕方がない。
我慢し、耐えて、抑えこんでこられなかっただろうか。
もろもろのインフラの復興・増設と同じくらい、感情の吐露は、
ひとがひとして生きていく上で、省略してはならないものだ、とわたしは考えている。

昨今、「デイグニティ・セラピー」といったセラピーの言葉を目にすることが多々ある。
デイグニティとは、尊厳という意味である。
そのひとがそのひと自身であることでもある。
そうして、率直な感情吐露は、ひとの尊厳そのものにかかわるものだ。

たとえば泣くこと。
最初の衝撃の時が少し過ぎ、現実を受け入れようとするとき……。あるいは受け入れたとき……。
内側から湧いてくる「泣きたい」という思いを我慢してしまうことは、ひとの感情生活に、重たい蓋をしてしまうことにならないだろうか。

大震災、そして原発暴走から間もなく3か月。
「いつまでも泣いてはいられない」という明日にかける覚悟は、
「思いっきり泣いたあと」にようやく導きだし、到達できる心の動きである。
泣いても3月11日以前には戻れないという、このうえなくせつない自分への宣言もまた。
「思いっきり泣けない」ままで迎えた「現在」は、そのひとの過去と未来を分断するものでしかない。
逆説的なものいいになるが、「思いっきり泣く」ためにも、
ほかのものにじゃまされない、ひとりの時空が必要であるのだ。
食事の心配も、ほかの不安も一時保留にして、思いっきり泣く……。
生きていくために、感情の吐露は無視できないものであるのだが、
果たして被災者は、それが充分に保証される時空の中に、3か月たとうとした「いま」いるだろうか。
泣けないまま迎えた、表面的「一部復興」……これさえもまだまだだが……、ひとの人生と心理を寸断し、明日に向かう意欲を奪う。

「福島原発の災害を伝える海外メディアを追い、政府・マスコミの情報操作を暴き、事故と被曝の全貌と真実に迫る」(帯コピーより)『世界が見た福島原発災害………海外メディアが報じる真実』(大沼安史・著、緑風書房・刊)を昨夜から読み出している。
その中に、作家でありコラムニストであるジェームス・キャロルというひとが、3月21日にアメリカの新聞ボストン・グローブに、「私たちの沈黙の春」というコラムを書いたという記述があった。
わたしのこのブログのタイトルも、レイチェル・カーソンの『沈黙の春』からタイトルをいただき、
JOURNAL OF SILENT SPRINGである。

『世界が見た福島原発災害』の著者、大沼さんは本書のプロローグを、次のような言葉で結んでおられる。
……私たちはいま、悪しきものが強いる「沈黙の強制」に抗し、告発の言葉を語り始めなければならない……、と。
同感!


6月4日
間もなく東日本大震災から3か月。
先週は、原子炉格納容器を設計され、研究を重ねれば重ねるほど「安全ではない」ことに気づいて告発してこられた技術者の後藤さんたちと医師の上林さんと『週刊金曜日』で座談会を。

後藤さんは、福島第一原発暴走を受けて、それまでのペンネームを棄て、カミングアウトされて原発の危険性を指摘されている。
上林さんは、現在の医療にあるパターナリズムと、原発暴走後しばらくはメディアで安全・安心神話を流布した学者たちの存在をだぶらせて、
「市民に必要なメディア」のありかたを力説されていた。

「(格納容器の)研究に、研究費がこれだけ欲しいと申請すると、
私たち技術者が申請したものより、0がひとつ多い研究費がぽんと出てきたものでした」
原発設計時代をそう語った後藤さんは先日、韓国にいかれた。
韓国で脱原発を主張するひとたちに招かれてのことだそうだが、
本来、ともに脱原発を主張できるはずの環境問題に取り組むひとたちが、
「原発はクリーン」ということで、推進側に取り込まれる傾向があることが残念、とおっしゃっていた。この国でも盛んに流布された、例のCO2問題である。

先夜、チェルノブイリの原発事故の後、原発の危険性と放射能の関係を解き明かす講義をされていた市川定夫さんが出演するDVDを観た。
このDVD、クレヨンハウスの土曜朝の講座に来たかたが配っていかれたもので、誰がどこでどのようにして25年前の市川さんの講座をキープしていたのか不明であるのだが。

チェルノブイリの原発事故のときも、全く同じ構図で、「安心神話」は流布されていたこと。
そして、ごく少数の良心的研究者や専門家がそれに異議申し立てをしていたことを、改めて痛感。
チェルノブイリ以降、何ひとつ変わらないまま、
原発の安全・安心神話は「ここ」にあったのだ。
DVDが映し出す当時の画面と、25年後の「現在」のもろもろが、見事に重なって見える。

18日は、「放射能と食べ物」というテーマで、安田節子さんのお話が。
当日のレジュメがすでに届いているのだが、とてもわかりやすく、いま必要な情報に満ちた講座になりそうだ。

それにしても、仮設住宅はまだまだ不足、義捐金も届かず………の日々。
ひとの、いのちと、重ねてきた人生をこんな風に「扱って」いいわけがない。
久しぶりに快晴の土曜日だが、心は重く曇天のまま。


6月3日
「哲学」と漢字で書くと、やたら難解なものを想像しがちだ。

けれど、今回の大震災、さらにそれに続く復興の遅れや、収束の見えない福島第一原発の現実を前にして、なにが「わたし」たちに足りなかったと考えるとき、ふと心に浮かんだのが「哲学」、あるいはカタカナの「テツガク」という文字とそれがイメージさせるものだ。

10数年前に会った、ネイティブアメリカンの、女性教育者ダイアン・モントーヤさんの言葉が甦る。以前にも一度ご紹介した記憶があるが。

……わたしたちは、祖父母やそのまた祖父母から言われてきました。
何かを選ばなければならないとき、七世代さきの子どもたちのことを考えなさい。

リアルタイムの現在、それがどんなに便利に思えても、七世代先の子どもたちが扱いに困るようなものを残してはいけない、と。
たぶん、哲学とは、こういう視点であり姿勢を育むものであるだろう。
わたしたちは七世代どころか、目の前にいる次世代の子どもたちに負の遺産を押し付けようとしている。

原発を「トイレのないマンション」と称するひとがいる。
その意味するところはわからないではないが、そんな程度のものではない。比喩そのものが,原発の危険性を過小評価していると言わざるを得ない。
トレイのないマンションに溢れた「排泄物」を片付けても、被曝はしない。細胞を傷つけはしない。胎児や赤ちゃんの甲状腺を直撃はしない。

しかし核の「排泄物」、核のゴミは、片付けたくとも片付けることのできないものであり、誰もその処理について答えすら持っていない。
そもそも処理できないものを作ってしまったことが、わたしたちがいかに「七世代先の子ども」のことを切り捨ててきたのかの逆証でもあるだろう。
行く当てのない、使用済み核燃料をためておくプールの存在がまた、さらなる暴走のこのうえなく危険な火種になることは、福島第一原発の例を見るまでもない。

そして、「FUKUSHIMA」に世界中が注目して固唾を飲んでいるいまも、
「核のゴミ」はつくられつづけているのだ。この国の原発で。


6月2日
「夜陰に乗じて」という言葉がある。
夜の闇に紛れて、というやりかたはフェアではない。
きったない!やりかた、進め方のことだ。
まさに、この東日本大震災と、一向に収まらない原発暴走に乗じて、
「コンピューター監視法案」が、衆議院を通過してしまった。

コンピューターウィルスによる被害防止のための法案というが、
ほんとにそうか? 
と「おカミ」のやることには懐疑的なわたしは首を傾げる。
この法案について詳しくは、1日と2日付け東京新聞朝刊、「こちら特報部」で報道されているが、わたしたちの憲法で保障されている「通信の秘密」に対する侵害であり、違反にはならないか。

今回の福島第一原発にかかわる情報の多くが明らかに「後出し」で、たとえば放射線量の正確な数値も知らされない日々の中で、玉石混交の傾向は一部にあったとしても、ネットが果たした役割は、決して小さくはない。
何十年にもわたって安全神話をたれ流し続け、絶対安全と喧伝した原発が暴走すると、今度は「安心神話」を流布した多くの大手メディアに対抗する、市民のメディアのひとつとして、ネットの存在は徐々に、そして急速に大きくなりつつある。

活字文化で育ち、いまでも活字が大好きなわたしでも、3月11日以来、ネットをチェックし、新しい情報を得るケースが多い。
この間、ネットは「御用学者」ではない、真正の学者の存在を紹介し続け、誰の言葉なら信じていいかをも伝えてくれた。
真正の声をあげつづけたのも、ネットであり、ネットが紡ぐネットワークそのものだった。
「コンピューター監視法案」は、そういったネット社会を刑法で規制するための、法案ではないか。

「民」は従順に大人しく受け身に「おカミ」の言うことを聞いて従っていればいいのに、自分たち独自の「市民ネットワーク」を駆使しはじめ、「おカミ」にきわめて都合の悪い情報を交換している、これはまずい、これは無視できない………。
そんな風に考えてのことかどうかは知らないが、「夜陰乗じた」法案であると言わざるを得ない。
他国の民主化運動もネットやフェイスブックを通して、呼びかけられた。
70年代、「明日は騒乱罪!」という言葉がわたしたちの世代を飛び交った。
2011年の現在は、「明日は共謀罪」か! である。
しっかりチェックしていこう。


6月1日
6月になった途端、わたしが暮らす東京は肌寒い天気に。
さらには、こんな時に、国会は不信任案騒ぎでさらにお寒い状況。
夕方には、自民・公明・たちあがれ日本が、菅内閣不信任案を提出。
あとは、与党民主の内部で、誰がどう動いて、どっちにつくか、の心躍らないレースになるのだろう。

被災されたひとたちの中には、まだ仮設住宅にも落ち着けないひとも大勢おられる。
心理的にも、「政治がさらに遠くなった。結局わたしたちのことは考えていないんですね」
と被災されたひとが言っていた。
菅首相がベストとは決して思わないし、被災者やこの原発暴走の被害者たちに対しても、
発する言葉に人としての痛みのようなものを感じないところが正直、苛立つし、腹も立つ。
しかし、じゃあ誰が? となると、浮かぶ顔がない。
長年、原発を推進してきた自民も、現政権を攻撃する前に、
まずは「自分たちがやってきたこと」を真摯に反省、謝罪すべきだろう。
政・官・業・学(アカデミズム)・メディアが一体となって「原子力村」を作ってきたのだから。

なんとも「寒い」6月初日である。


5月31日
福島原発LINKをご覧ください、というお報せ。

28日に一回目を迎えた、原発をもっと知ろう、クレヨンハウスMORNING STUDIES。
1回目の講師に上田昌文さんをお迎えして、大盛況のうちに終了した。
(こういった会が盛況であることを果たして、喜んでいいのかどうかはわからないが)
そのとき、会場からひとりの女性が、息子さんが甲状腺がんになり摘出したこと、
その息子さんが「ぼくのような人間をもう二度とつくらないように、みんなに話してきて」
と言って、送り出してくれたことも、彼女は話してくださった。
息子さんがまだ乳児だった頃、彼女は母乳で息子さんを育てておられた。
その息子さんが甲状腺のがんであることがわかったとき、
医師からは「育児中、ヨーロッパにいましたか?」と訊かれた
ということも彼女は会場で話をしてくれた。

チェルノブイリの原発事故のあと、
ヨーロッパ各地に風にのってホットスポットが出現したことを受けての、
医師の言葉であったのだろう。
しかし、彼女も息子さんも当時もいまも日本で暮らしている。

上田さんからは、チェルノブイリの原発事故のあと、
あの年の5月3日頃がもっとも放射線量が酷かったと、
答えておられたが、原発事故との因果関係は、無念なことに立証することはできない。
司書をされている、このひとりの女性であり、母であるかたの
悲しみと憤りはどれほどのものであろうと考えると、胸が詰まる。息子さんもまた。

そして、2011年、福島第一原発暴走である。
わたしたちは以下の行程をしっかり覚えておかねばならない。
3月11日 19時3分。
政府は、緊急事態宣言を発し、
21時23分に、3キロ圏の避難、10キロ圏の屋内退避を指示。
12日 午前5時44分。避難区域を10キロ圏に拡大。
そうして、それから避難区域は20キロ圏まで拡大され、30キロ圏には屋内退避が指示。
3月25日 政府は30キロ圏の屋内退避指示をした住民に対して「自主避難」勧告。

このブログでもずいぶん前に書いたが、「自主避難」とは、
今後どのようなことがあっても、たとえ健康被害が生じても、国はどんな保障もしない、
「自己責任」で対処するように、という意味の通達である。
そうして、福島の子どもたちへの年間被曝線量20ミリシーベルトと発表。
原子力安全委員会と当局の、「どっちが言った」「こちらは言わない」
といった醜い責任逃れの対立風が続いた。
これも当ブログに記してある。

そうして、ようやく努力目標として1ミリシーベルトとする、
という文部科学大臣の発言はあったが、それにしてもあくまでも努力目標である。

被曝の影響には「しきい値」は存在しない。
被曝には安全値はないにもかかわらず、である。
さらに、20ミリシーベルトが規準になったときも、
そうしていまも、「内部被曝」については曖昧なままだ。

3日前のこのブログに、5月17日に福島飯館村の住民が、
政府と福島県、福島県立医科大学付属病院大学の三者に提出した要望書をご紹介した。
「……とりわけ放射能に対する感受性が高い子どもたちが、
このニヶ月間に受けた体内被曝量が、事実として、いかほどであるかを正しく測定し、評価し、
記録しておくことは、今後の私たち村民の健康管理にとって必要不可欠」と考えてのことである。

内部被曝、ホールボディカウンターによる体内放射能測定に関する要望書である。
そこには、一週間以内に文書で回答をと記されているが(5月29日のブログ、参照)。
その後が気になって、当事者のおひとりに「福島原発LINK」を教えていただいた。
ここに詳しく記されているので、是非、ご一読を。
http://fgenpatsu.blog55.fc2.com

結果からいうと、要望書で区切った回答期限が過ぎた26日夜に、
福島県立医科大学から「検討中」という電話連絡があったという。
来週ぐらいには回答するということらしいが、これはやはり事実上の回答保留と考えざるを得ない。
さらに驚愕と憤りを覚えるのは、政府と県からは未だ無回答、という事実だ。
「無回答」!!!!である。

すでにご存知と思うが、被曝には外部被曝と内部被曝があり、
園や校庭の土を削りとる作業にも取り組んでいるが、
内部被曝はホールボデイカウンターでの調査が必要であり、
いずれの場合も成人より子どもの被曝の感受性ははるかに高い。
それゆえに、要望書は提出されたのだ。
にもかかわらず、「無回答」とは信じられない対応だ。
飯館村は原発暴走の後もかなり放置されていたところであり、
さらにその住民たちの切なる願いまで、この国は放置するというのか。
ホールボディカウンターによる内部被曝調査は、いま現在の内部被曝を測定するだけではなく、
将来起こり得る健康被害(決して起きてはほしくはないが)について、
原発事故との因果関係を証明するためにも不可欠な立証資料でもある。

それらの要望に対して「無回答」とは、どういうことなのか。
子どもたちのいのちと、国の財政や東電が秤にかけられ、
後者を選ぶための、「無回答」なのか。
またもやこの国は「自己責任」と逃げるのか。
最初に「自己責任」を流布したのは、自民党政権だった。
政権が変わっても、「民のいのち」は、こんな風に棄てられるのか。
ワープロを打つ指先の震えが止まらない。

「福島原子力発電所事故対策統合本部本部長 菅直人様」宛ての、
この要望書に、住民の叫びに、菅さん、あなたは応えないのか。
薬害エイズの被害者の前で流したあなたの涙は、一体なんだったのか。

要望書のこのフレーズを、あなたはどう読むのか。
「………私たち村民のほとんどが、子どもたちを含め、『放射能の雲』が村に流れていた3月15日には、
空間線量率が40マイクロシーベルト/時に達したことも知らないまま、
マスクなどの防護もせずに屋外での活動を続けておりました。
大人たちは他の地区からの避難者の受け入れに奔走していました。
その後も、飯館村には国から『屋内退避』の指示が出されることもなく二ヶ月が過ぎました。
またチェルノブイリ原発事故によるベラルーシ共和国の汚染地域では、
飯館村の汚染レベルより低いレベルの汚染地域でも、政府の政策として、
地区の中央病院に設置されたホールボデイカウンターで、毎年の検診時に、
住民の体内放射物質(セシウム137)の測定が行われ、
住民への健康・生活指導がなされていると聞いております。
以上のような趣旨から、飯館村の村民に対してホールボディカウンターによる測定を行うことをお願い致します。
また、その際には測定結果(核種と量)を正確に記載した記録を本人に手渡して
被曝評価などの説明が必ずなされるようお願い致します」

ヨウ素131など、半減期が短い核種は、すでに測定はできないだろうが、セシウム134や137は測定可能だ。
なにをためらう。なんのための無回答なのか。

詳しくは「福島原発LINK」をご覧ください。


5月30日
緊急増刊『朝日ジャーナル』、「原発と人間」は、とても心に響く一冊である。心にすとんと落ちる、とも言える。
それぞれの執筆者は数値やデーターや表を駆使しながら、
原発の「いま」と、これからわたしたちが向かうべき未来について描いておられる。
が、多くのテレビの情報番組の中での解説のように、数値だけがひとり歩きして宙に浮かず、しっかりと心に根づく理由は、それぞれの執筆者ご自身の、確かな生きる姿勢がそこにあるからだろう。
重ねてきた人間としてのキャリア、こうありたいと願い、こう生きてきた「自分」、そして他者とのゆるぎない関係性が、それぞれの執筆者が紡ぎだされる言葉の背景と土台にあるからだろう。
失礼なものいいになるのではないかと不安だが、それぞれの執筆者の、人としての品性、DIGNITYのようなものさえ感じる文章である。そこにあるのは、垂れ流される「情報」ではなく、確かな「哲学」である。

この社会とこの時代に必要なのは、もしそう呼んでよければ、「哲学」ではないかと常々考えてきた。哲学者のための哲学ではなく、机上のレトリックでもなく、生きる上の根っこのような哲学である。
哲学者・高橋哲哉さんは「原発という犠牲のシステム」というタイトルで寄稿されている。
その中に次のようなフレーズがある。全文を読まれることをぜひお薦めするが。
……少なくとも言えるのは、原発が犠牲のシステムである、ということである。(中略)犠牲のシステムでは、或る者(たち)の利益が、他のもの(たち)の生活(生命、健康、日常、財産、尊厳、希望等々)を犠牲にして生み出され、維持される。犠牲にする者の利益は、犠牲にされるものの犠牲なしには、生み出されないし、維持されない……。その後に続く、「無責任の体系」(丸山眞男さんいうところの)の記述も心にしみる。
高橋さんは次のようなフレーズで原稿を終えられている。
……問題は、しかし、誰が犠牲になるのか、ということではない。犠牲のシステムそのものをやめること、これが肝心である。

原発だけではない。誰かが誰かの、誰かが何かの犠牲の上に成り立つシステムを抱えこんだ社会(大小さまざまなこのシステムが重なり合い、絡み合った社会にわたしたちは生きている)は、そこに暮らす人間は決して、幸せにはしない。欲望に支配され、欲望に所有されたものが牛耳るこの社会とこの時代の、最も醜悪で酸鼻な「いのち」と生きる権利への侵害が、今回の原発暴走だと言える。
収束など果たしてくるのかと考えさせられる福島第一原発の暴走以降、今も尚、「捨て場のない」、「どこにも持っていけない」核のゴミをつくり続けている、わたしたちがいまここにいるのだ。

最近声をあげて笑ったのは、いつのことだったろう。

5月29日

今日は朝から名古屋へ。
週刊朝日緊急増刊の『朝日ジャーナル』をしっかり持って新幹線へ。
「原発と人間」という通しタイトルがついた特集号だ。
10代から20代の頃、『朝日ジャーナル』をしっかり持って、集会に出ていた頃を思い出す。
すべてを読み解くことはできないうちに次号が発売、の繰り返しだったが。

昨夜、年若い友人から、以下のメールが入ったので、ご紹介する。
緊急のメールなので、ご一読、納得されたらアクションを!
よろしくお願いいたします。

*******************************

*内部被ばくの調査を求める飯舘村住民の要望書に対し、政府、福島県、福島県立医科大学・附属病院は、すべて無回答で対応


5月17日付けで飯舘村住民が出していた
「ホールボディカウンターによる体内放射能測定に関する要望書」に対し、
要望の回答期限が過ぎた26日午前現在、政府、福島県、福島県立医科大学・附属病院はいずれも無回答であることがわかりました。
飯館村住民でつくる村民団体「負げねど飯館!」は、村民の内部被ばく調査の
実施を求めて、政府、福島県、福島県立医科大学・附属病院宛に要望書を提出していました。

要望書は、内部被ばくが時間の経過とともに測定困難となる性質をふまえ、
一週間以内の早期の回答を求めてきました。

しかし、要望書の提出から一週間以上がたった本日26日午前、
「負げねど飯館!」の愛澤卓見氏に電話で確認したところ、
いずれの提出先からも回答が得られていない事実が明らかとなりました。
事実上、飯館村住民の要望は、日本政府、福島県、
福島県立医科大学・附属病院のすべてから無視されている状況です。

飯舘村で観測される高い放射線量と、
事故以来そこで生活しつづけてきた飯舘村住民の不安を考え合わせると、
この行政側の「無回答」という対応はあまりに残酷なものです。

さらにこの内部被ばくの調査は、村民の不安に応えるというだけでなく、
将来起こりうる健康被害において原発事故との因果関係を立証するために必要不可欠な資料となります。
政府、福島県、福島県立医科大学・附属病院には、
飯館村住民の切実な想いに応える誠実な対応を求めたいです。
飯舘村の人々に思いを馳せる方は、ぜひ各方面における働きかけをお願いします。
またツイッターやメール、ブログなどで
この「無回答」という事実を広めて下さるようお願い致します。

*******************************

*ホールボディカウンターによる体内放射能測定に関する要望書*

福島原子力発電所事故対策統合本部本部長 内閣総理大臣 菅直人 様

東日本大震災及び福島第一原発事故の災害対策へのご尽力に、心から敬意を表します。
ご承知のとおり、この度の大震災により福島第一原発は深刻な損傷を受けました。
炉心溶融と水素爆発等に伴い、チェルノブイリ原発事故の10分の1にも相当する量の放射性物質がすでに放出され、国際的な評価尺度でも「レベル7」の重大事故であることが公に確認されています。
そして事故を起こした複数の原発は、未だに事態の収束メドが立たない事態に陥っております。
私たちの住む飯舘村は、この度の原発事故による放射性物質の放出のために高濃度に汚染され、「計画的避難区域」(外部被曝だけでも「事故発生から1年の期間内に積算線量が20ミリシーベルトに達するおそれのある区域」)に指定されました。
私たち村民のほとんどが、子どもたちも含め「放射能の雲」が村に流れてきた3月15日には、空間線量率が40マイクロシーベルト/時に達したことも知らないまま、マスクなどの防護もせずに屋外での活動を続けておりました。
大人たちは他の地区からの避難者の受け入れに奔走していました。
その後も、飯舘村には国から「屋内退避」の指示が出されることもなく二ヶ月が過ぎました。
このような中で、私たち村民は地上に降った放射性物質からのガンマ線による外部被曝だけでなく、この二ヶ月の間の呼吸や飲食によって体内に取り込まれた放射性物質による内部被曝の両方による被曝をしていると考えます。
外部被曝については、公表されているモニタリングの空間線量や村や個人が所有する線量計での測定値から、ある程度推定することも可能です。
しかし、内部被曝については村や個人の努力では測定も評価もできません。
私たち村民、とりわけ放射線に対する感受性の高い子どもたちが、この二ヶ月間に受けた体内被曝量が、事実として、いかほどであるかを正しく測定し、評価し、記録しておくことは、今後の私たち村民の健康管理にとって必要不可欠だと考えます。
また、チェルノブイリ原発事故によるベラルーシ共和国の汚染地域では、飯舘村の汚染レベルよりも低いレベル(37,000ベクレル/平方メートル以上)の汚染地域でも、政府の政策として、地区の中央病院に設置されたホールボディカウンターで、毎年の検診時に、住民の体内放射性物質(セシウム137)の測定が行われ、住民への健康・生活指導がなされていると聞いております。

以上のような趣旨から、飯館村の村民に対してホールボディカウンターによる測定を行うことをお願い致します。
また、その際には測定結果(核種と量)を正確に記載した記録を本人に手渡して
被曝評価などの説明が必ずなされるようお願い致します。
事故後二ヶ月が経過した今では、ヨウ素131など、半減期の短い核種については、すでに測定できないだろうとのことは承知しております。しかし、比較的(物理学的)半減期の長いセシウム134 (2.5年)とセシウム137(30年)は、生物学的半減期(大人:50-150日、子ども:44日)を考慮してもまだ測定可能です。
特に避難が始まるまでのこの二ヶ月間の内部被曝を評価するには早急に測定を行う必要があると考えます。
この要望へのご回答は、一週間以内に下記に文書にて送付下さいますようお願い致します。

2011年5月17日

愛する飯舘村を還せプロジェクト「負げねど飯舘!」(仮)
「代表常任理事 大井利裕
連絡先 愛澤卓見
住所:福島県相馬郡飯舘村飯樋字笠石25
電話:090‐9633‐4149
Fax:0244‐43‐2807」

ホールボディカウンターによる体内放射能測定に関する要望書
【内閣総理大臣宛】
http://fgenpatsu.up.seesaa.net/image/20110517_01.jpg
【福島県知事宛】
http://fgenpatsu.up.seesaa.net/image/20110517_02.jpg
【福島県立医科大学学長・付属病院長宛】
http://fgenpatsu.up.seesaa.net/image/20110517_03.jpg

愛する飯舘村を還せプロジェクト
「負げねど飯舘!」(仮)のホームページ
http://space.geocities.jp/iitate0311/index.html

*******************************



5月28日
クレヨンハウスの若いスタッフの声で実現の
一歩を踏み出した『原発とエネルギーを学ぶ朝の教室」。
今朝からスタートした。

一回目の講師は、市民科学研究室主宰・上田昌文さん。
一貫して市民の視座から、暮らしと科学と社会を検証されてきた
上田さんのテーマは「原子力と原発きほんのき」。

様々な情報の中で、なにを信じていいのか、
福島第一原発はいまどうなっているのか、これからは? 
をプロジェクターを使いながらわかりやすく説明していただいた。

沖縄に台風が接近して雨がちの土曜日の朝。
9時スタートの講座に、早い受講生は8時頃にすでにお見えなっていた。

上田さんのお話の後、会場からは、さまざまな質問が。
チェルノブイリの原発事故当時、
東京で母乳で子育てをされていたひとりの女性からの質問が。
………当時生まれて間もない男の子を母乳で育てていた。
その息子が甲状腺がんになった。
医師たちからは、
「当時ヨーロッパにいたんですか?」
と訊かれたが、当時は東京で暮らしていた。
因果関係を解き明かすことは不可能かもしれないが、
「息子がぼくのような子どもを二度とつくらないために
参加して、と言っておりましので」……。
上田さんからはチェルノブイリ原発事故後、東京でもっとも
放射線量が強かったあの年の5月3日を例にあげ、説明。
因果関係を証明することは叶わないが、と。

その他、お子さんが保育園に通う若い保護者や
教育関係者からのもろもろの質問も。
受講生同士が互いの情報をもちより、共有する姿もあって、
全体像を把握するための一回目が無事終了。
二回目からは食べ物と放射能、といったように
より専門的なテーマになる予定です。

PS.上田さんたちが刊行される報告集、
『原爆調査の歴史を問い直す』(NPO法人市民科学研究室/刊)は、
6月の初めに、クレヨンハウスにも並びます。


5月27日
今日が何月で何日なのか……。時々、わからなくなる。
どこかで上の空なわたしがいる。 
そういえば中学時代、上の空を英語で「absence of mind」
というのだと習った記憶がある。
まさに、そんな感じの「mind」が続いている。
一方に、全身全霊でとてつもない集中力を要することがあり、自分の日常と感情生活のほとんどがその一点に向かっているせいか、ほかは奇妙なabsentが続いている。

こういったときこそむしろ、ささやかで微妙な感情の揺れに丁寧につきあい、
季節の花と深く向かい合い、旬の食材を使ったシンプルな料理を作り
(旬の食材などは、あれこれ手を加えず、シンプルなほうがはるかにうまい)
そしてゆっくりと味わい、といきたいものだが。
それらが、だいじなことだと充分に知ってはいるのだが……。
目を通さなければならない資料や本が次々にあり、なんだかとても心せかされ、
そして一日の終わりにはなぜかぐったりしてしまうのだ。こんなことではいけないのだが。

暮らしの基本を何よりも尊ぶことが、荒々しくも前のめりで大きな「声」や「存在」に抵抗する、わたしたち市民のもっとも平和な「闘いかた」だと思うのだが。
相手と同じペースや声音になったら無意味だと考えるのだが……。
どうしても焦ってしまう。いや、いや、これではいけない。

旬のそら豆を茹でてみた。きれいな翡翠色が目に染みる。
……老いてみな花のごとしや豆の飯
わたしと同じ終戦の年に生まれた唐 振昌さんというかたの句集『陶枕』(花神社)に見つけた句である。
かの地のお年よりはどうしておられるだろう。
仮設住宅に出入りするときの入り口の段差が気になる。
トイレを使うために上らなくてはならない段差もまた。

28日。台風が接近しているというが、「原発とエネルギーを学ぶ朝の教室」の第一回目。
講師は「市民科学研究室主宰」の上田昌文さん。
参加を希望される大勢のかたがたからご予約をいただいている。

6月11日。「食べものと放射能のはなし」で講師をお願いした安田節子さんからまわってきた5月12日のメールは……。
「以下のHPを見つけました。せっかくの税金を使って、
ある意味ではこんなに素晴らしい環境パラメーターシリーズを
刊行しているのにもかかわらず、今回の福島原発の過酷な
事故後にさっぱりいかされてないのは、どうしてでしょう。
(略)いずれにしても、食物から入る核種による内部被曝を
考えるときに、種々の点でそれなりに利用できることが
多々ありそうです」
http://www.rwmc.or.jp/library/other/kankyo/
旧原子力環境整備センター(現原子力環境整備促進・資金管理センター)の紹介がある。


5月26日

炉心溶融が明らかになっても、
収束の日程に今のところは変化なし、の政府である。

政府の発表に納得いかない家族は、福島から子どもをつれて「疎開」をしている。
が、疎開も叶わず、今日も福島で暮らしている家族のほうが圧倒的に多い。
これらの現実は、たとえどんなにハードな現実であっても、
正しい情報を知りたいと願う「すべてのわたしたち」と
福島の子どもへの決して許容できない人権侵害であり、
存在への「虐待」ではないか。

ここにきて、政府は何をためらう。
首相は何を惜しむ。
ひとに惜しむものがあるとすれば、
次世代、そのまた次世代のいのちであり、安全ではないか。
それを後回しする政治家に
子どもたちのいのちを任せるわけにはいかない。
海外では、どれほどのメディアが今回の規準「20ミリシーベルト」を
非難しているか、彼らは知っているのだろうか。
高木文部科学大臣は、現実を把握する力が欠如しているのか。

今朝、クレヨンハウスに次のようなメールが入っていたので、お報せを。
「チェルノブイリでは炉心溶融でストロンチウムまで大量放出、福島でも、それに近い状態?」とある。

ストロンチウム90は過去の事例から遠くへは飛ばないと言われていますが、
下記ブログで示したように過去の核実験では
セシウム137:ストロンチウム90が1:0.7の割合で日本に降下しています。

ブログも更新していますのでご覧ください。
http://blog.goo.ne.jp/soil_niigata/e/92b1420cee04a267cf8076e8d4f383a7



5月25日

結局、また徹夜をしてしまった。
今日は授業があるから寝ておかなくては、と思っていたのだが。
長い間、書店から消えていた堀江邦夫さんの『原発ジプシー』
(現代書館)の増補改訂版が刊行された。
「被曝下請け労働者の記録」というサブタイトルは、本書が
はじめて刊行されたおよそ30年ほど前、表紙に記されて
いたかどうか記憶にはない。
いま改めて読んでも、あらたなる憤怒と哀しささえ覚える告発の書である。
憤怒は、ひとのいのちに対する、ひとかけらの畏怖の念も
欠如した原子力行政や当局へのそれであり、哀しみは、そうと知りながらも、
働かざるを得ない人々への現実から生まれる。
その現実の下で、わたしたちはつい最近まで煌々と電気を灯し続けてきたのだ。

「最終章」に著者が記しているように、電力会社社員と、非社員
(サブタイトルにある「下請け労働者」)の被曝量の相違(2008年度)には、
改めて驚かされる。電力会社社員の被曝量は、「全体のわずか3パーセント
程度。つまり、原発内の放射線下の作業のそのほとんどは、『非社員』=下請け労働者たちに委ねられている事実。そしてさらに付け加えるなら、わたしが働いていた当時にくらべ、電力会社社員の被ばく量だけは着実に減少しているという事実………」。
添えられた図からも一目瞭然である。
さらに最終章には、次のような記述もある。
「………身元の不確かな者たちが原発で大勢働いている、という話がひろまっていたことへの電力会社の対策の一環ともいわれ、最近では原発周辺地域住民のなかから労働者を募集することが増えている。
このことからすると、各地の原発を渡り歩く日雇い労働者のその存在は
もとより、『原発ジプシー』ということば自体、やがて近い将来消え去って
しまうかもしれない。ならばなおのこと、1970~80年代という時代の
なかで懸命に生き働き続けてきた『原発ジプシー』たちの存在を、あるがままに
きちんと記録しておく必要が………」。
著者は、美浜から福島第一、そして敦賀原発でも働いた。

敦賀で働いた最後の日の記述を紹介しよう。
………午後一時から、ホールボディ。私より前に来ていた中年の労働者が、
係員になにやら尋ねている。どうやら彼も今日、退域するらしい。
「いや、あんた、一二〇〇ぐらいたいしたことありませんよ。サウナにでも入れば、毛穴に入っている放射能はみんな落ちてしまいますよ」と係員。
中年労働者は、「そんなもんですかねえ………」と半信半疑の口調でそう言うと、部屋を出ていった。
この二人が話し合っているとき、なにげなく係員の前の机に目をやった。
測定結果を記録した台帳が開いてあった。外人の名前が二人並んでいる。
両者とも「正味係数」欄には、二〇〇〇前後の値が書いてあった………。
そうして、著者本人のである。
………敦賀原発入域時(三月二十六日)の「正味係数」は、ニ四二。すると、
わずか一カ月弱で六八ニカウントもの放射性物質を体内に取りこんだことに
なる。六八二カウント………この"数値"は、私の将来にどのような影響を
及ぼすのだろうか………。

福島第一原発でも、本書に記述されているようなことが繰り返されていないか。
「改善されている」と当局は言うかもしれない。
しかし、原子炉建屋の中で作業に従事する人たちは、室温40度、湿度99パーセントの異様としかいえない環境にいる。ロボットさえ、先に進むことを諦めた、異常な環境だ。
この国は「円高」でありながら、「人間安」だと言われた時代があったが、
その日々は終わらず、いまもって続いているのでは。
危険きわまりない、劣悪な環境で働くのは、
いつだって非正規の労働者であるのだ。
わたしたちは彼らの健康被害の上に、電気を使ってきた。世界で名だたる
高い電気を。「トイレのないマンション」より劣悪な、最終の核のゴミをどこにも
持ってきようのない、原発の電気を。

こうしている間にも、核のゴミは作られつづけている。こうしている間にも、
作業をされているひとたちは、このうえなく酸鼻な環境の中で、被曝している。



5月24日

SPEEDI(スピーディ、緊急時迅速放射能影響予測ネットワークシステム)
については、以前にも書いた。
巨額を投じながら、なぜわたしたちに予測図を発表しないのか。
なぜ隠しつづけるのか。隠さなければならない根拠はどこに、何にあるのか、と。
「こんなこと」は起きてはならないのだが、「こんなとき」の「こんなこと」のために、それはあるのではないか、と。

SPEEDIの予測は、ようやく今月になってからかなりが公開されるようになったが、それにしても奇怪なのは、原子力安全委員会による発表が、今でも一日遅れであることだ。一日遅れの「予測」である。それは「予測」ではないだろう。
事故直後にSPEEDIの予測が発表されていれば、先月も半ばを過ぎてから「計画的避難区域」とされたところの住民は、もっと早くに避難できたはずだし、少なくとも自分たちが置かれている現状について考え、選択決定する余裕はあったはずだ。

「………原子炉内の高線量区域に相当する値なのに、地元の人は何も知らずに暮らしていた。放射能汚染に対する準備はゼロだった」(東京新聞 5月24日『こちら特報部』。京都大学原子炉実験所・今中哲二助教のコメントより)。
本当に酷い。酷すぎる事実だ。
こういった隠蔽に対して、何が、とか、どこが具体的には指摘できなくとも、多くの市民は、この情報隠しをすでに知っている。
悲しく無念なことなのだが、何か、どこかで「隠しているはずだ」と。だからこそ、「風評被害」が起きるのだ。
テレビカメラの前で何を食べてみせたところで、「あなた」たちの不誠実な姿勢が風評被害を産んでいるのだ、と自覚すべきだ。
せめて、せめて、それくらいの誠実さを持ち合わせてみたら、どうだ。

それでは、自民党が現政権だったら、と考えてみる。彼らはどうしただろう。
住民のいのちと暮らす権利に関して、もっと真摯だったろうか。
情報を誠実に発表しただろうか。何かを隠したりしなかったか。
そう考えると、自民のほうが「まし」とも思えない。

それでは、どの政権だったら? どの政党だったら? わたしは、……既成のどの政党も心底、信頼と共感を抱けないでいる。こっちよりあっちのほうが、少しは信頼できる、といった程度ではないか、という実に惨めな結論に達してしまう。それがわたしだけのペシミズムであるなら、いいのだが。

原子力行政というのは、何もかも隠さないとスタートできなかったのだ。スタートしてからも、何もかも隠さないと続けられなかったのだ。そして、こんな事故が起きてさえ、いまもって隠し続けているのだ。

昨日も、福島の住民たちが校庭の線量上限「20ミリシーベルト」撤回を求め、文部科学省を訪れた。大臣との面談は実現しなかった。
そして、福島第一原発の1・2号機は、従来言われてきた大津波が到達する以前、地震で冷却に必要な水配管が損傷していた事実が、東電の公表資料から判明。
「大津波」を理由とすることに、わたしは以前から懐疑的だった。地震から目を逸らすことに役立つからだ。
しかし、大津波以前から冷却機能に損傷があったとしたら、そしてそれが暴走の第一次の理由だとしたら、どんなに堅牢な防潮堤をつくったところで、大した意味はないといえないか。
いったんは停止となった浜岡原発(防潮堤ができたら再開と首相明言)も、いや、この地震列島の上にある、原発すべて、がである。
それらをオブラートに包み込むために、「大津波」原因説が主流になっていたのではないかと、悲しいことに、ここでも懐疑的にならざるを得ないわたしがいる。
この国の、この対応をみていると、である。
国会議事堂の堅牢な「建屋」の中で、一体、あなたたちは何を守ろうとしているのだ。
うんざりだ。


5月23日
2日間、東京を離れると、いろいろと仕事がたまってしまう。
それでも原稿を書きながら国会中継を聞いていた。
「衆議院東日本大震災復興特別委員会質疑」である。

質問する側は相手の瑕疵を言い募り、
問われる側はなんだか曖昧な言葉で蓋をする………。
そんな風にしか思えない時間だった。
互いが党利党略を超えて、東日本で被災されたひとたちのことを、
そして収束が見えない福島第一原発について語り合い、
なんとかよりよい方向へというのが、
この国が「いま」必要とされている姿勢であるだろう。

質問をしている野党第一党は、長年にわたって原発の推進を
してきた側である。
そのことにして、自分たちはどう思うのか。
そのことをわたしたちは訊きたい。
問われる民主は、現在の原発について今後のこの国のエネルギーシフトについて、もっと明快に答えてはどうか。

23日の朝日新聞の朝刊、「声」欄に掲載された二つの投書が印象的だった。
ひとつはチェルノブイリ原発事故当時、ドイツ、フランクフルトで仕事をしていたという男性らの投書である。
事故当初、フィンランドやスウェーデンに向かって吹いていた風の向きが一変し、チェルブイリから15000キロも離れたフランクフルトに方向へ吹き始めたときの、ドイツ政府の対応について、投書者は書いておられる。すぐに住居地域の緊急告知で自宅待機を促され、学校も職場も休みとなった、と。25年前のドイツ政府の対応は、福島第一原発暴走のそれ(言うまでもなく、現在進行形であるが)、「情報公開の素早さと正確性」に格段の差があった、と。

なにかというと、「風評被害」が問題になる。
が、「風評」を生産しているのは、政府をはじめとする当局の、
情報「非」公開、あるいは「一部」公開、「過小」公開にある。

野菜や茶葉の生産者や、漁業従事者など、
堅実に第一次産業と取り組んできたひとびとにとっても、
動きのとれない苦しみを与えているのは、一体、だれなのか。
パフォーマンスでそれらを食するのを見せられるのも、ごめんだし。

同じ「声」欄、隣のスペースには子どもの被曝を怖れる福島の女性の投書が載っている。
「国によると、この地域の放射線量は大丈夫とのことですが、
専門家である内閣参与が辞任した際の記者会見での発言を聞くと、政府の情報を信じていいのかわかりません」。
これらの「声」が、政治家にはどのように届いているのだろう。

5月22日

今日は関西でのシンポジウム。
昨日に続いて旅空の下、である。
クレヨンハウス東京の女性の本のフロア(むろん男性も大歓迎)に揃えた本を昨日はご紹介したので、今日は一階の子どもの本のフロアの本をご紹介する。
昨日、記したように、原発についての言及は、
旅先では急な変化に対応した文章に変えることが難しいので。

子どもの本のフロアは、窓側のカウンターと、フロアの真ん中に、
「坐り読み用」のテーブルを設置している。
ご関心のあるかたは、是非、「坐り読み」を。
すんなり入っていける本から読み始めるのが、大事だと思う。

以下、子どもの本のフロアで特集している原発に関する本のリストです。
子どもの本売り場 原発関連書籍


5月21日

本日は終日、長崎だ。
昨日のブログにも書いたように、1945年8月9日に原爆を投下されたところである。
編集委員をつとめる「週刊金曜日」の読者のかたがたを軸にした集まりである。
同じく編集委員の佐高信さんは昨日から長崎入りをされているそうだ。
わたしは一日送れての合流だが、テーマはやはりこの大震災と原発暴走になりそうだ。

東京は離れているときのこのブログの原稿には、正直逡巡する。
都内や近県にいるなら、何らかの変化(主に原発の)にも対応できるが、
遠く離れてしまうと、その変化にも対応できない。そこで今日は、
クレヨンハウス東京店の三階、ミズ・クレヨンハウスが3月のあの
日から揃えた原発についてもっと知るための、書籍を列記する。
何事も、悪しき変化は起きないように、と祈りつつ。

まず、リストには入っていないが、今週半ばに入荷予定の書籍をご紹介する。
30年前、わたし自身が読んで、とてもショックを受けた本だ。
原発のまさにただなかで働く人々の「現実」を自らもその職について体験した堀江邦夫さん。
待ちわびたこの本が増補改訂版として再び、わたしたちの手元に届くようになった。
是非、ご一読を。

もとの本が発行された当時、わたしは私設宣伝係として、この本をお薦め2回した。
当時は「下請け」と呼ばれた作業に従事されているかたがたの現実は、「協力会社」と名称は変わっても、福島第一原発でも繰り返されているに違いない。是非、ご一読を。
「原発ジプシー増補改訂版」堀江邦夫/著、現代書館/刊
また、関連書籍で、講談社から、現代書館のダイジェスト版のようなものが刊行される。
文庫「原発労働記」堀江邦夫/著、講談社/刊

>ミズ・クレヨンハウスの原子力関連所蔵書籍一覧

5月20日

某省から、広報の出演を依頼された。
意味がわからず、どんなことを期待されているのか、訊いてみた。
と、たとえば風評被害に気をつけるとか、そういった呼びかけを
先方は期待されていることがわかった。

確かに風評被害で辛い思いをしている農業従事者や漁業従事者はいる。
しかし、なぜ風評被害が起きるのか。
問題は、わたしたち市民が正確な情報を手にできているか、
正確な情報の発表がされているのか、
当局に対する不信感が大元にあるからではないか。

原発の事故に関しては、情報隠しや、当局の「過小評価」が、あまりにも多かった。
だから、みな不安になり、風評に足を掬われるのだ。
風評被害を気をつけよう、と呼びかける前に、
風評の原因を糾すことが基本であると思うし、
わたしはそうとしか言えない、とお断りをした。

この企画を考えた省庁のひとたちも、本当に心からそう思い、
風評による被害をなくそうと思ってのことかもしれない。
しかし、なあ。
どれほどの市民が不安に怯えているか。
真実を知らされていないのではないかと疑心暗鬼になっているか、
大元はそのままにして注意を喚起する感覚は、
申し訳ないが、わたしには理解できない。

福島の親たちや教師たちが何をおそれているのか。
このブログでも何度も繰り返しているが、
子どもの年間被曝許容量を20ミリシーベルトとする文部科学省規準に、
福島の大人たちは不信感をもっている。
わたしも同感だ。
成人に比して、子どもの放射能の感受性は五倍だと言われる。
さらに、この基準の緩さに対して異議の声があがると、文部科学省も、
内閣府の原子力安全委員会も互いに責任を押し付け合うばかりで、
これも以前、書いたが、決定過程への議事録も残っていないというありさまだ。

五月の連休後、校庭の土の表面を削った自治体もあったが、放射能を計測する計器の確保さえ充分ではないと言われている。
福島市内で、
「健康被害はない。放射能の影響はニコニコ笑っている人にはきません」
と講演してまわっている専門家がいる。
真実であるなら、わたしたちは泣きながらニコニコ笑ってやる。
この専門家は、広島、長崎で原爆被曝をしたかたがたの前で、そう断言してみるがいい。
「ニコニコ笑っている人には放射能の影響はきません」と。
笑っていたものも不機嫌だったものも、みな、
1945年8月6日と9日に被曝しているのだ。
もっとも、この「専門家」は長崎の大学のひとだが。
あまりにもばかにしたもの言いではないか。

今日の東京新聞「こちら特報部」の特集は、まさに「子ども守れぬ」という大きな見出しで、この年間被曝許容量20ミリシーベルトについて、特集している。
以前から「こちら特報部」の特集の愛読者だったが、
原発についての特集はいま、最も優れていると思う。
クレヨンハウスの「原発とエネルギーを学ぶ朝の教室~Morning study of SilentSpring~」の連続講座にも、
この「こちら特報部」のデスク、田原 牧さん(わたしは、田原さんが書く記事がとても好きだ。確かな市民目線がとても心に響く)を講師としてお迎えすることができた。
詳しい日程は、クレヨンハウスのホームページを。


5月19日

一体、これはどういうことだろう?

17日、ソウル市内であった講演で、劇作家で内閣官房参与でもある
平田オリザさんが、次のような発言をしたという。
東京電力が福島第一原発から放射能汚染水を海に棄てたのは、
「アメリカからの要請であった」と。
首相補佐官の細野豪志議員は本人の勘違いだと言っているが………。
鳩山首相の所信表明の原稿作りにもかかわった平田さん。勘違いで、
そんなことを言うかなあ。

浜岡原発を菅首相が停止と決めたのも、実はアメリカからの要請ではないかと、
『アエラ』で内田樹さんが書いている。原発はもう推進できないとしたアメリカが、
収束のための機材を「売り」、さらに自然エネルギーのあれこれもという、
販売戦略なのではないか、と。

真偽のほどは知らない。確かなことは、わたしたち市民はいつだって
蚊帳の外だということだけだ。
民主主義って、なんだっけ?

今日は大学での授業だった。
女子大なのだが、あるクラスで、女の子が涙ぐんでいた。原発の話をしていた
ときだった。祖父とおじさんが福島の警戒区域にいるという。
「不安で、心配で……」と涙ぐむ彼女に、誰も何も言えない。
大人のひとりであることが、情けない。
もうひとり、クレーンの運転をする父親が六月から福島原発に入るという
女の子もいる。母親も彼女も必死に止めているのだが、自分が行かなければ
ほかの誰かが行くことになる、と父親は譲らないという。

緑が生い茂り、風が木の葉を揺するキャンパスで、影だけが深くなる。


5月18日

東京は夕暮れの時間を迎えた。
クレヨンハウスの店頭にはいま、ビオラやパンジー、スウィート
アリッサムなど、春の花が最後の競演のときを迎えている。
小さな蝶々のような形のロベリア(亡くなった母が大好きな花の
ひとつだったが)も、濃い紫、浅い紫、ピンクががった紫と
発光するような眩しい花をつけてくれている。

一見、穏やかな初夏の夕暮れである。
けれど、気持ちは一向に晴れない。見えない恐怖に怯えている。
昨日のブログにも書いたように、福島第一原発、一号機格納容器の
水漏れや、高度汚染水の現状をみると、収束へのゴールはさらに
遠ざかってしまったような。
当初の格納容器を水で満たす「水棺」方式は断念。タービン建て屋に
たまった高濃度の汚染水を浄化し、冷却水に再利用する、いわゆる
循環式を選択するようだ。が、その循環式を確立するにしても、
どれほどの作業が必要であり、どれほどの時を必要とするのか。
そして、どれほどの作業に従事する人々を。

炉心の冷却のために日々500トンの水を注水しているというが、
一号機から四号機のタービン建て屋などには、すでに8万7500トンの
放射能汚染水があるといわれている。六月中を目途に汚染水を浄化。
冷却水として再利用する計画だというが、果たしてシナリオ通りに進むのか。
祈りと憤りが、晴れない心を二分する。

一方、政府と東京電力は避難住民への支援策も17日に発表した。が、
わが家をわが土を、わが郷里を失った漂流感はいかほどのものだろう。
「怒ること自体に疲れました」
そんな住民の声に、喪失の、その深い洞に、誰がどのように応えること
が可能だろう。誰も何も応えられない。
これが、2011年5月の、わたしたちの現実であり、真実でもある。

原発について、もっと知ろう、という土曜の朝の連続勉強会。
参加のお問い合わせが次々に。
詳しくはホームページを。

東京新聞の朝刊の「本音のコラム」でいつも確かな視点のコラムを
書いておられる、作家の鎌田慧さん。彼のコラムの中に
「核燃まいね」という脱核燃の活動を青森で続ける女性のおひとり、
倉坪芳子さんのお名前を見つけた。
「反原発おばさんだけで、あたしの一生が終わるのはいやだ」
20数年前に言っていた彼女は、いまもって核の燃料は要らない、いやだ、
という活動を青森で続けておられるのだ。
当時、女性たちと制作していた「落合恵子のちょっと待ってMONDAY」
という番組に何度も登場していただいた女性だ。
お子さんたちももう、大きくなっておられたことだろう。
地に足つけて、身の丈で、決してひるむことなく活動を続けてきた彼女である。
「そこ」で暮らしながら、「そこ」の多数派といやおうなく対立することへの
苦悩を抱きながら、「そこ」での活動をやめなかった彼女。
お声、聞きたいな。会いたいなあ。
うん、わたしたちも踏ん張っていくよ、倉坪さん。

鎌田慧さんにも前掲の連続講座に講師としておいでいただくようお願いしている。


5月17日
なんて、ことだろう。

福島第一原発の一号機はすでにメルトダウンを起こしていたのだ。
それも、震災発生から間もなく。
3月11日から二か月以上がたって、
はじめてその事実が東京電力から発表されたのだ。

発表が遅くなったのは、なぜなのか。
隠していたのだろうか? あるいは、本当にわからなかったのか。
前者も恐ろしいが、後者は尚のことおそろしい。
前者も当然許容しがたいことだ。しかし、後者の場合は……。
これだけ、すべての人々を恐れさせ、
原発周辺の住人に苦難を押し付けながら、
これだけの原発暴走を、当の東電も、安全神話を垂れ流した専門家も、
本当に誰ひとり把握していない、ということになるのだから。
今更ながら、ひとの力ではハンドリングできないものを、
わたしたちは「国策」として持ってしまったことになる。
2号機、3号機はどうなのか。

現場で作業にあたる男性がひとり、心筋梗塞で亡くなった
というニュースがある。
亡くなった理由については、いろいろ言われているが、
先に亡くなった女性職員と共に、彼も犠牲者のひとりだ。
「協力会社」の名のもとにどれほど多くの、従事者が
いのちをかけた苦闘を続けていることか。


5月16日

きょうは、北陸へ出張。
帰りも遅いので、またまた絵本をご寄贈いただいた方へのお礼の電話が遅れてしまう……。
気になります。ごめんなさい。

ゴールデンウィーク中も、たくさんの絵本が、各地から届きました。ありがとうございました。
お送りいただいた絵本のダンボールが、倉庫で大きな大きな山に。
スタッフ総出で、開梱し、お送りしているところです。
一方で大震災から2ヶ月経って、避難所の様子が変わってきたような。
また福島原発事故の計画的避難区域となって避難されるところも増えてきました。
そのせいか、「○○に子どもたちが○人います。絵本を送って!」と連絡をいただくことが増えてきました。大歓迎です。
もちろん、絵本の送り先のご紹介も大歓迎。

きょうは、一昨日発表の企画、朝の教室“Morning Study of Silent Spring”について改めてお知らせを。

福島第一原発の事故後、クレヨンハウスでは、原子力や原発関連書籍を買い求める方が多く、また、若いスタッフたちからも「あらためて原発のことを勉強したい」という声が上がりました。
チェルノブイリの事故以降に生まれたスタッフもいるのですから。
たしかに、メディアの情報をただ受けているだけでは、未消化です。
そこで、脱原発、自然エネルギーへのシフトを実現していくために、知っておきたいことを学ぶ「朝の教室」をはじめることにしました。

司会はわたし、落合恵子が担当。
講師は毎回幅広いジャンルから。原発の基礎知識から、食のこと、自然エネルギーのこと……幅広いテーマで包括的に学びます。
すでに2回目まで講師が決まっています。

■むずかしい原発問題が「やさしく」わかる連続講座です。
原発の仕組みや実態、問題点などは、なかなかわからないもの。
市民の視点に立つ専門家に、テレビや新聞ではわからない本当のことを
わかりやすく語ってもらいます。
■ 「朝活」としてもおすすめ!
毎回土曜日の9 時から開催予定。
涼しく明るい朝におこなうことで、省エネルギーも目指します。
昨今、流行の「朝活」にもぴったりです。
■クレヨンハウススタッフも一緒に学びます。
お客様とともに考えていきたいとスタッフたちが発案のこの企画。
ご一緒に勉強させていただきます。

【原発とエネルギーを学ぶ朝の教室“Morning Study of Silent Spring”】
・司会/落合恵子(クレヨンハウス主宰)
・場所/クレヨンハウス東京店B1 レストラン「広場」
・参加費/1,000 円(税込)
・申込/要予約 電話03-3406-6465 ミズ・クレヨンハウス(11:00~19:00)
email josei@crayonhouse.co.jp

第1 回「原子力と原発きほんのき」
講師/上田昌文さん(市民科学研究室主宰)
日時/5 月28 日(土)9:00~10:30

第2 回「食べものと放射能のはなし」
講師/安田節子さん(食政策センタービジョン21 代表)
日時/6 月11 日(土)9:00~10:30
★3 回以降、続々企画中。


5月15日

朝日厚生文化事業団主催、「認知症」についてのシンポジウムを終えて、
このブログを書いている。
「住み慣れたところで最期を」というメインタイトルがついていた。
4年前に見送ったわたしの母も、パーキンソン病とアルツハイマー病を併発した認知症だった。

3月11日以降、ずっとわたしの心を離れないのは、何度もこのブログに書いている、原発の暴走による被曝の問題(特に子どもは放射能の感受性が大人の5倍とも言われている)。そして、被災地の介護を必要とするひとたち、認知症のひとたち、この社会が「障がい」と呼ぶものがあるひとたち、定期的なリハビリや人工透析等を必要とするひとたちのこと。言ってみれば、社会的に「声の小さい側」にあるひとたちの存在だ。

介護保険のスタートとほぼ同じ時期に発症した母は、介護士さんたちの助けも借りながら、在宅でおよそ7年の日々を過ごした。
認知症が進むにつれて、母は言葉も失った。
食事も排泄も着替えも、部屋のなかを10センチ移動するだけでも……やがて母は自分の日常のすべてを、他の誰かの手にゆだねるしかなくなった。
何を望み、何を求め、何を拒否しているのか、何を快いと感じ、何を不快とするかも、わたしは、そして介護の手助けをしてくださるひとたちも、母の表情や、いままでの人生のあれこれから推察するしかなかった。そのためにも、推察の、キイパーソンが必要だった。あらゆる意味で、「彼女」が「彼女」でありつづけるために。
どれかひとつが欠けても、「彼女」は「彼女」でありつづけることはできなかったのだから。
娘のわたしが完璧に、そのミッションを遂行できたわけではない。悔いはいまでも山ほどある。
しかしもし母がいま「ここ」にいて、そして、「ここ」が被災地だったら……。
そうして娘であるわたしがいまもって行方不明になっていたら……。
介護士さんも被災されて、通うことができなくなったら……。
そうなったら、どうなるのだろう。想像するだけで、息が詰まる。

住み慣れたところで、と望みながら、見知らぬ病院に「収容」された認知症のひとは、自らの環境の変化に、どのように対応したらいいのだろう。
不安と不穏と不可解な変化に戸惑うばかりではないだろうか。

震災関連死と呼ばれるものが増えているという。



5月14日

大阪で朝を迎える。
昨日は東大阪市で、人権についての講演会があった。
多くのかたに集まっていただき、感謝、感謝。
人権は、いつも磨きをかけておかないとすぐに曇ってしまう
鏡のような存在だ。遠くから仰ぎ見るものでもなく、自らが素手に握るものであるだろう。
自分の人権に対してセンシティブでないと、
自分以外のひとの人権に対しても雑になってしまう。
講演の中でも、原発の事故について言及せざるを得なかった。
これほどの「人権侵害」、いのちへの侵害はないのだから。
東大阪での講演を終えて、十三へ向かう。
学生時代(はるか昔だ)、「関西遠征」(遠征というのも穏やかな呼称ではないが)と称して、同志社や関西学院大学や関西大学、立命大などの学生と
ディベートの試合をしたことがあった。
十三は打ち上げのときに訪れたところでもある。
十三と書いて「じゅうそう」と読むことも、そのときに知った。

その十三の第七藝術劇場で、専門家の立場から一貫して原発の危険性を警告し、脱原発をアピールされてこられた、京都大学原子炉実験所の小出裕章さんの講演があるからだった。
ずっとお話をうかがいたい、と思ってきた。
しかし、チケットはすべて完売。
モニターを通してお聞きする第二会場も、当日券が数枚あるのみ、とのこと。
クレヨンハウス大阪店のスタッフが早朝5時30分から並んでくれて、
ゲットしてくれたチケットである。ありがたい。
大阪店のスタッフは、関西のどこかで土・日にはある小出さんの
講演会に参加するそうだが、わたしは13日を逃すと、ずっと先になってしまうので、少々焦っていた。
小出さんのお話をうかがいたいと思った大元には、福島第一原発の、暴走がある。
そしていまもってゴールの見えない現実に怯えるのと同時に
腹を立てて生きているわたしたちだが、
「もっと知りたい」「正しく知りたい」という思いが強い。

一部は上映会。毎日放送が2008年に制作したドキュメンタリー、
「なぜ警告を続けるのか…京大原子炉実験所・異端の研究者たち」。
このドキュメンタリーの存在もずいぶん前に知って、観たかった。
「熊取(地名)六人組」と呼ばれる小出さんたち研究者の日々を追った作品だ。
「原子力ムラ」に属することを拒否し、原発の危険性について警告を発しつづけた6人の、素晴らしき異端たち。いまは小出さんと今中さんのおふたりしか実験所には残っていない。
「異端」であるために蒙った精神的ハラスメントや研究上の実害などについては、詳しくふれてはおられないが、力学のもとでのそれが、どれほど醜く、どれほど時に屈辱的なものであったかは、ささやかながらメディアの中で「メディアとは寝ない」と決めてそうしつづけてきたわたしにも想像できる。

第二部は小出さんと、プロデューサー・今井一さん、
前掲のドキュメントを制作した津村健夫さんとのティーチインだった。
警告を発しながらも、結局は原発事故が起きてしまった
現実に深い悲しみと悔いを抱いておられる小出さんの講演は、
その言葉のひとつひとつが心に突き刺さった。
安全神話を垂れ流し、ひとたびことが起きれば、今度は「安心神話」で、
真実を隠蔽しようとする御用学者の存在に憤りを覚えながらも、
こうしてブログに書くしかなかったのだが…。
HE IS A TREASURE OF US!である。
同時に小出さんや今中さんや、故・高木仁三郎さんや西尾獏さんや
原発の警告をされ続けてきたかたがたに「頑張ってください」
と下駄を預けるのは、間違いだ。
昨夜の会でも突然指名され、しどろもどろになりつつ会場で申し上げたが、
わたしたちひとりひとりがもっと学び、さらに学び、
人間としても深くなり、警告を発すること、
脱原発を生き方として身に付けられるようになることが、
こころから学者とお呼びしたい方々への、わたしたちからのプレゼントになるだろう。
重たいこと、しんどいこと、危険を伴うことを、誰かさんだけに背負わせてはならない。

そんなことも含め、原発について、放射能について、もっと知ろう、
学ぼうという勉強会、モーニング・スタディを
5月28日からスタートする。
一回目の講師は、「脱原発社会」の理論的リーダーでもあり、
80年代後半、クレヨンハウスが原発について学ぼうという勉強会をはじめたとき、講師をつとめてくださった高木仁三郎さんが創設された「高木学校」の一期生、市民科学研究室主宰・上田昌文さんをお招きする。
詳しくは→ http://www.crayonhouse.co.jp/home/event1105.htm#gen



5月13日

心配なことがある。
たとえば6月頃、梅雨の蒸し暑さが続き、例年ならば、節電を念頭に置きながらも、除湿機やクーラーをつけようかどうか迷う季節だ。

そのとき、「電力不足」がキャンペーンされたとしたら(たぶん、されるだろう)………。
いま、史上最悪といわれる原発暴走を前にして、自然エネルギーへのシフトを考えはじめた多くも、「やっぱり原発は必要」とまでは言い切れなくとも、「必要悪だね」という結論に落ち着いてしまう流れが出てこないだろうか。
いや、そういう流れを作るためのシナリオがすでに作成されつつあるのではないか、という不安がわたしの中にはある。

浜岡に限らず、すべての原発を停止したとしても、電力は不足しないという。
このことをわたしたちはしっかり学びたい。学ぶための書籍も多々ある。
電力不足という意図的「風評」が、いつ、いかなる形でわたしたちをアタックした
としても、わたしたちは慌てず、立ち止まり、その「風評」の源が何なのか、
しっかり考えたい。

ここ数日、全炉停止となった浜岡原発について、このブログにもいろいろ書いているが、
停止はあくまでも一時的なものであり、防潮堤が完成すれば(2、3年後といわれている)、再開させると首相は言っている。再開させた、その2、3年後に「想定外」(こういった言葉自体、アンフェアだが)の大津波や地震が東海地方を襲ったら………。
新しい防潮堤さえ越えてしまう「未曾有」のそれだったら、どうするつもりだろう。
そのときも、「想定外」というのだろうか。
浜岡に限らず、どこで何が起きても不思議ではないといわれる原発を、地震列島にこれだけ抱え、収束のつかない最悪の事故を目に前にしながら、エネルギー政策の転換については触れない政府とは、一体誰のために存在するのだろう。


5月12日

小雨がちな日が続いている。
レインコートを羽織ってちょうどいい気温だ。
被災地の気温は? 気になることばかりだ。

「死者・1万4981人 行方不明・9853人」と今日もまた朝刊が伝えている。
避難をしているひとの数は11万5098人、うち1都6県に1万0691人のかたが避難されている。
同じ朝刊で、11日には福島第一原発3号機の取水口近くの立て坑付近で、高濃度の放射性物質を含んだ汚染水がまた海に流出したことも伝えている。
東京電力の工事で、汚染水はその日のうちに止まったそうだが、一時、近くの海水の汚染濃度は、周辺の1000倍になったという。
また、1号機の原子炉建屋の2階では、毎時1000ミリシーベルトの放射線量を検出したという記事もある。

東京新聞12日付け朝刊「こちら特報部」(頑張っている)では、原発事故による土壌汚染について、アメリカエネルギー省と文部科学省が共同調査をした結果、「計画的避難区域」と定められたところの「外側」(カギカッコは筆者)でも、チェルノブイリの原発事故では避難を指示された水準の、汚染地域があることが判明した、という。
記事の中に、元放射線医学総合研究所主任研究官の崎山比早子さんというかたのコメントも掲載されている。
そのままご紹介しよう。
「チェルノブイリ事故と被ばく状況は問題と思ってきたが、日本政府の対応はそれ以上にひどい。しかも事故は収束しておらず、今後、線量が増える危険がある。少なくとも妊婦や子どもたちを放置していい状態ではない」。
素人であっても、わたしもそう考える。福島では校庭の土の表面を削ったりもしているが、住人の生活圏内すべての土壌を除去することは不可能だ。
最悪の場合を考え手を打つのが基本ではないか。その結果、杞憂に終わった、「心配しすぎたね」と頷きあうことができたなら、それはそれでいい。が、
過少に見積もって、あとで次世代やそのまた次世代に健康被害が及んだとき、それもまた「自己責任」で逃げるというのか。

クレヨンハウスでは、放射能の被害も含め、「原発をもっと知ろう」という学習会を企画しています。ホームページでお報しています。http://www.crayonhouse.co.jp/home/event1105.htm#gen


5月11日

大震災から2か月。

首相要請を受諾して、浜岡原発が全炉停止が決まった。
中部電力が9日の臨時取締役会で、要請を受け入れ、
数日中に静岡県御前崎市にある全炉を、数日中に停止することを決めたからだ。

それでは、中部電力が首相の要請を突っぱねたら、どうなっていたのか? できレースという一部の噂もわからないではない。
そもそも「浜岡は危ない」という声はずっと以前からあった。
しかし、炭鉱のカナリアのように危険性を指摘する声も、今回の福島第一原発の暴走がなければ、ねじ伏せられていたに違いない。

首相は浜岡を「特例」としながらも、自然エネルギーを基幹エネルギーに「加える」と表明した。他の原発に関して見直しはするのか。
浜岡にしても防波堤ができれば、2,3年後には運転再開である。
それも、経産省原子力安全・保安員の評価を得れば、再開スタートであるのだ。
原発を推進してきた「原子力ムラ」は、そのまま残るということか。浜岡だけは一応、「みなさまのお声もあって、止めてみました」ということなのか。このあたりの真意が不明だ。
運転を再開した、たとえば2年後や3年後に東海地震が来ないと、誰が保証できるのだろう。
今回の停止は、東海地震への不安というだけではなく、ある種のガス抜きと、浜岡原発が暴走すると、「首都圏が危ない」という政治的配慮が後押ししただけなのでは?

浜岡が福井であったら、北海道泊であったら、一時停止を選択しただろうか。
一般市民のいのちへ思いを馳せる想像力を、この国に求めることは全く無意味なのか。首都圏に暮らすものと、別のところに暮らすものの、いのちの重さは違うのか。

折りしも昨日10日、いまもって収束のめどがたたない福島第一原子力発電所から半径20キロ以内の、「警戒区域」に住んでいたひとたちの、一時帰宅がはじまった。わが家でありつつ、防護服に身を包み、第一陣として「わが家に」一時帰宅したのは、川内村の54世帯、92人である。わが家でありつつ、わが家ではなくなった、わが家へ、である。
2時間ほど滞在し、必要なものを持ち出したり、片付けをしたというが、一時帰宅は「自己責任」とするような、ただでさえ苦汁に充ちた帰宅をする人々の神経を逆撫でするような、そのやりかた。
自分たちの責任を回避するために、相手に責任があるように仕向ける「自己責任」という言葉と概念がまたもや、この国を席巻するのか。


5月10日

今朝、わたしの手元に届いたメールから

フランスの「ル・モンド紙」は4月28日、ある大学で教鞭をとる女性の寄稿文を掲載したという。
彼女はその中で、政府や東電を批判する日本のマスメディアが、福島原発事故の前夜まで
多額の広告費と引きかえに、原子力発電所の安全性を宣伝していたことを批判。
財界も政府も「経済の復興を」「仕事に戻ろう」と経済のみ優先し、現在50以上ある稼働中の原発を今後どうするのかという問題とは向き合っていないと指摘。

また、今後も新たな地震の発生が予想されること、政府の原子力関係者が技術面でも信用の面でも充分でないことから、福島で起きたのと同様の事故が繰り返される可能性があると述べている……。

そんな内容に続き、日本の民主主義を問う内容の寄稿であったという。
「原発マネー」、「原燃マネー」と呼ばれる多額なお金の動きのひとつに広告料がある。
雑誌でいうなら、一冊一冊の購読料の何百倍、時に何千倍もの収入を保証してくれるのが、広告料だ。
そうして、あらゆるジャンルのクライアントの中で、もっとも出稿料と量が多いのが、電力会社のそれであると言われている。

「泣く子とスポンサーには勝てない」という諺があるが、福島で泣く子は放置しても、クライアントには勝てないのが商業雑誌をはじめとして、「おつきあいのある」メディアであるだろう。

すでに完全に崩壊したが、原発の安全神話を喧伝した専門家たちのところにも、原発マネーは届けられているはずだ。あのひとにも、このひとにも。
個人だけではなく、研究所への助成金としても。
そのお金は、言うまでも無く、わたしたちの電気料金から支払われている。
それらを支払っているのは、ほかでもない「わたしたち自身」であるのだ。
自分たちが支払った電気料金で、放射能の恐怖まで強引に贈られる…。
それが、わたしたちのWAY OF LIFEであるのだ。

福島の子どもたちの年間被曝量が20ミリシーベルトにアップされたことについては、このブログでも何度も書いている。
180センチの高さで測定して、と言われるが、180センチの乳幼児がいるだろうか。これひとつとっても、いい加減きわまりない、「20ミリシーベルト」である。

5月9日

以前この欄でもご紹介したが、『まるで原発などないかのように』
(原発老朽化問題研究会・編、現代書館・刊)のタイトルが
いまでもわたしの中で、エンドレステープのようにぐるぐると回っている。
堅牢な防潮堤ができれば、それで安全ということにはならない。
地震、大津波がなければ、それでいい、ということでもない。
原発そのものを問い直すことを、わたしたちは忘れてはならないはずだ。
前掲の本のサブタイトルは、「地震列島、原発の真実」だが、
むしろタイトルのように、いつか「わたしたち」は、「まるで原発などないかのよう」な日常に戻ってしまうのではないだろうか。
いまはまだ多くのわたしたちの意識は、福島第一原発に、そして浜岡へと向いている。
が、やがては、いつかは本書のタイトル通り、「まるで原発などないかのように」
暮らし始めるのではないだろうか。
ひとはみな忙しい。ひとはみな、そのひとなりの悩みや憂いを抱いている。
未決の事項もまた。その中で、わたしたちは「まるで原発などないかのように」ずっと暮らしてきたのだ。
ましてや、派遣切り、人員整理はいまもって続き、大震災以降は
やむを得ずそうせざるを得ない企業や工場も増えている。
考えなければならないこと、取り組まなければならないことが山積みの日常、
「いつまでも原発にとらわれてはいられない、それより雇用が先」という
ひとがでてきても、なんの不思議はないし、そのひとを責めることはできない。
それでもわたしたちは、考えつづけなければならないだろう。
いかなるときでも、原発はいのちにかかわる危険と表裏一体の上に存在することを。
福島、浜岡だけではない。
ほかの原発はどうなのか。福島第二は?
前掲の著書の中で、田中三彦さん(九年間、民間企業で原子炉圧力容器の設計などに従事、その後、自然化学系の著述や翻訳に従事)は、次のように分析し、書いておられる。
「実は、原発推進という国策を最も強力に後押ししているものは、
大都会の人間の、無関心だ。寝ているものを目覚めさせてはならない……
これが原発を推進する行政の暗黙の戦略であるだろうし、
それは同時に、電力会社によるあの呆れたトラブル隠しやデーター捏造の
背景でもあるだろうし、東京という大都会に原発が存在しないもう一つの
理由でもあるだろう。寝ているものを目覚めさせてはならない………」

3月のあの日、わたしたちは、ようやく長い眠りから目を覚ました。
福島の人々の、かけがえないひとやものの喪失の上に、目覚めのときは訪れた。
猫なで声の、子守唄はもういらない。もう、自らを眠らせてはならない。
わたしたちは、「原発列島」の上で、暮らしているのだ。
子どももお年寄りも、みな、それぞれに自分の人生を紡ぎながら。
そのことを改めて心に刻む、5月。
3・11から2か月になろうとしている。



5月8日

昨日の続きである。
原発が絶対安全というなら、なぜ、もっと人口が多い仙台に
原発をつくらないのか? 女川原発を建設する話がでたとき、
地元のひとに問われ、答えを見つけようとした京都大学の
小出裕章さん。人口の多い地域に原発が建設されないのは
それだけ危険であり、安全神話はでっちあげだと気づいた時から、
彼は「脱原発」を主張しておられる。
さまざまなアカデミック・ハラスメントにさらされながら。
その事実を知って改めて思い出したのが、
本田雅和さんと風砂子・デアンジェリスさんの著書、
『環境レイシズム―アメリカ「がん回廊」を行く』である。
アメリカのがん回廊を丹念に、そうして痛みをもって取材した
彼らがたどりついたのと、小出さんの結論は同じだ。
アメリカでも、人体に明らかなる悪影響があるものを排出する
工場などは、白人たちが暮らすところでも、アッパーミドルの
住居が多い街でも都会でもなく、
貧しいネイティブアメリカン(かつてはインディアンと呼ばれたが)や
アフリカ系アメリカ人、あるいは人種的マイノリティが
居住するところから「切り崩し」にあったという。
雇用先が増える、税収などで町も潤う、といった「アメとムチ」作戦は
原発や核燃料の地にも適用されてきた歴史は、洋の東西を問わず長い。
「環境レイシズム」というタイトルは、人種差別の上に環境問題も
成立している意味である。酷すぎる「棄民」である。
「環境レイシズム」は版元品切れ状態が続いているが、クレヨンハウスでは
おふたりの著者に委託を受けて蔵書しているので、是非お目通しを。
原発の「いま」と恐ろしいほど、重なる言及が多いことに、
あらためて驚愕する。



5月7日

小雨がちの表参道を「脱原発」のパレードが行く。
若い人たち、小さな子ども連れの家族も多い。
わたしたちの世代はデモ(デモンストレーション)
と言っていたが、彼女らや彼らは「パレード」と呼ぶようだ。
赤、青、緑、黄色と色とりどりの風船を
手にした様子は、確かに心躍るフェスティバルやパレードのようだ。
このパレードのモティベーションそのものを考えると、
気持ちは晴れないが。


昨日6日。菅首相は、浜岡原発の一時停止を発表した。
堅牢な「防潮堤」ができあがるまで、という理由だ。
二年という停止期間が終了した後、浜岡原発はどうなるのか。
浜岡に限らず、この国にあるすべての原発は。
何度でも繰り返す。津波や地震だけが問題なのではない。
老朽化した原発はもとより、原発それ自体が制御不能となる
可能性をもった、きわめて危険なモンスターであり、
使用済みの核燃料についても同様に「捨て所」のないものである。

午前11時から2時間。朝日ニュースターの『パック・イン・
ジャーナル」に出演。
脱原発をアピールしつづけてきた京都大学の原子炉実験所の
小出裕章さんと電話でお話をする機会があった。
福島の子どもたちの外部被曝の暫定基準値、20ミリシーベルトに
ついても改めて伺ってみた。
わたしは、子どもの場合は大人の三倍と覚えていたが、小出さんは
「五倍」と考えています、ということだった。
女川原発を建設するとき、地元のひとに、なぜ原発が安全であるなら
仙台に建設しないのか、と問われ、その答えを探す日々の中で、
「原発は安全ではない」という結論にたどりついて以降、一貫して
脱原発を訴えつづけている研究者である。



5月6日

「こどもの日」が終わって、いつもの金曜日が戻ってきた。
しかし、戻らないものがある。戻れないものもある。
一度失い、奪われたいのちは、戻ってはこないのだ。
そうして、これ以上わたしたちは、いのちを、健康を奪われてはならない、特に子どもや若者は。

福島郡山市では、自治体の判断で、年間積算暫定規準の「20ミリシーベルト」を減らすために、校庭の土の表面を除去する作業を行っている。
その結果、4月27日の除去前には3・3ミリシーベルトあったものが、
表土を除去した後では、1・7ミリシーベルトになったというニュースもある。
しかし、すべての土の表面をくまなく測定しているわけではないだろうし、
なによりも問題なのは、除去した土の行き場がなく、
校庭などの片隅に積まれた仮置き状態が続いているということだ。
東京電力は、法的にもこの除去した土を安全に集め、
安全に保管する責務(このひとたちの「安全」は信頼できないが)と、
そのための費用を担う義務があるはずだ。
が、申し入れた郡山市に対する返事は、連休明けまで待つように、というものだったという。
たぶん今日あたり返事があるのだろうが。
単なる「生ゴミ」の話ではないのだ。
いまもって収束が見えない原発暴走の過程で起きた「大事件」である。
「連休明けまで」という返事に、彼らの、「お役所風」な姿勢が見える。

今回の20ミリシーベルトに対する文部科学省や厚生労働省、原子力安全委員会の、このうえなく曖昧な答弁とどこかで重なると感じるのは、わたしだけだろうか。
汚染された土の除去作業をしているひとたちも、
たぶん同じ県内の作業に従事するひとたちだろう。
誰が、安全・安心を保障するのか。
責任の所在を曖昧にすることに腐心するのが、「エライひと」たちが必死に取り組む、唯一無二のことなのか。

さらに、保育所は厚生労働省、幼稚園は文部科学省管轄と縦割り行政もまた、子どもたちの「いま」を脅かす。
子どもは、ひとりの子どもとして生まれ、そこに生きているのだ。
(わたしはずっと「子ども省」として、子どもを丸ごと考える行政の提案をしてきた……)
その子どもの人体への影響は(いろいろな解釈はあるが)、大人の3倍と考えたほうがいいと言われている。
「そこまで考える必要はない」という声もある。しかし、これは「そこまで考えるべき」テーマではないか。
最悪の場合を「想定」して考え、万が一、最悪までいかなかったら、「よかったね」というテーマである。
何年後かに、子どもたちに症状が発してから、「想定外」だったとは、言わせやしない。
その時には、3.11以降の取り決めをしたほとんどすべてのひとは、責任をとれるポジションにはいないだろう。
そしてきっと答えは、「前々任者が」云々になるのだろう。

ひとのいのちを、子どものいのちを、なんと考えているのか。
大人の3倍の影響という数値をもとにしてみると、個体差があるとはいえ、
20ミリシーベルト×3=60ミリシーベルトの被曝が許容されているという恐ろしい数値が見える。
20ミリシーベルトは、今まで類のない規準であり、国際的規準の一番高い数値を敢えて選んだ結果であり、職業的に被曝する大人の場合も、従来の実績では0・7ミリシーベルトに抑えられていたのではなかったか。
「放射能がここまで広がったのだから、もうしょうがない。20にしておこう」なのか。
こういったもの言いはいやなのだが、言わせてもらおう。
今回の20ミリシーベルトの決定に関与したすべてのひとたちは、自分の子や孫を、福島に「疎開」させてみてはどうか。
それでも、20ミリシーベルトという規準はそのまま放置しておけるのか。

以前このブログで記したように、この20ミリシーベルトには、
食物などによる内部被曝は積算されていないのだ。
菅 直人首相。
あなたにも子どもがいる。
あなたたちがなしえた政権交代は一体、何だったのか。
原発が自民党政権下で推進されてきたことは誰でも知っている。
政権が交代したとき、多くの有権者は夢見たものだ。
いままでの政・官・財、ずぶずぶのどす黒い関係性を、新政権が断ち切るのではないか、と。
しかし、「事業仕分け」は何のためのものだったのか。
原発関係の魑魅魍魎がうごめく「事業」には、なぜに果敢に手をつけなかったのか。
なぜに、「天下り」を温存させたのか。
電力会社に勤務する通常の生活者に刃を向けているのではない。
ましてや、多量の被曝をしながら福島第一原発の作業をしている「協力会社」のひとたちを責めているのでもない。

民主党政権もまた、自民党のように、この社会に生きるひとりひとりを切り捨てていくのか。
安全神話の垂れ流しの後に、崩壊した神話をさらになぞり、子どもたちの安全を脅かすのか。
原子力発電はクリーンである、という罪深い神話同様、あなたたちがしていることも、子どもたちのいのちに対する、罪深い神話の上塗りでしかない。

気が遠くなるほど続いた自民党一党独裁を、わたしは一度たりとも支持したことはないが、同じ自民党の中でも、原発に一貫して反対してきた河野太郎議員(様々なハラスメントをされたそうだが)のほうが、はるかに人間として良心的に思えてしまう、このネジレを、元に戻すなら、菅さん、いましかないのだ。

原発を「白紙に戻して考える」という答弁は久方ぶりに耳にする、「あなたらしい」声ではあった。
だが、福島の子どもを放置したままで、「白紙に戻す」ことはできない。
そうして、わたしたちが20ミリシーベルトにとらわれているいまも、
沖縄電力が沖縄に小型原子炉の導入を検討中というニュースが!

なんという国だ、このニッポンは。
「ニッポンはひとつ」じゃない。
ニッポンという国は、こうして声の小さいものたちのいのちと人権を踏み台にして、築かれてきたのだ。
ACジャパンのコマーシャルで流される「精神論」に接すると、気分が悪くなる。
こういった精神論が第二次世界大戦を「聖戦」にし、大本営発表を唯一のニュースソースとした歴史を、わたしたちはこの世紀にも繰り返すのか。
一方の手で心臓をえぐりとりながら、
もう一方の手で包帯をさしだすようなやりかたは、あざとすぎはしないか。



5月5日

5月5日、こどもの日。
こんなに悲しく、こんなに胸が痛むこどもの日が、昨今、あっただろうか。
それぞれの子どものいのちを、子どもの将来を、子どもの人生を、
この社会のほとんどすべてを決定する「支配層」は、どのように考えているのだろう。
「少子化」社会を憂える彼らにとって、それぞれの子どもは独立した存在、人格であるより、将来の生産性をあげるための道具でしかないのか。道具は、「壊れれば」新しいそれに取り替えればいいのか。

子どもは,子どもの権利条約に記された独立した人格と人権を有した、なにものにもかえ難い存在ではなく、この「弱肉強食」の社会を底辺から支える明日の「歯車」でしかないのか。
第二次世界大戦中、まずは東北の寒村の若者が次々に兵隊にとられていったように。そして、いのちを奪われていったように、「数」だけで、カウントされる存在なのだろうか。

被災地の、それぞれの子どもの、顔が見えない。声が聞こえない。
子どもの思いがなかなか伝わってこない。

テレビカメラを向けられれば、子どもは、カメラが求める姿や表情を察して、反射的に「そうする」だろう。
それを、「元気で健気で、むしろ大人を励ます被災地の子どもたち」と括ってしまうのは、子どもを表面だけでしか見ていないことにはならないか。子ども自身さえも気づかない、深い傷に蓋をさせてしまうことに役立つだけではないか。

そうして、福島の子どもである。
何度もこのブログに書いているように、4月19日に決められた、年間被曝量「20ミリシーベルト」の撤回を求める再々度の交渉が、5月2日、参議院会館で行われた。
わたしは仕事で参加できなかったが、当編集部のスタッフが参加した。
「福島の子どもたちを放射能から守れ」という手書きで大書された紙を背に、厚生労働省がおよそ30分、文部科学省と原子力安全委員会がおよそ1時間30分。
結局は、「20ミリシーベルト」と決めたのが「どこ」なのか、誰なのか、責任の所在はうやむやのまま、終了しただけだったという。
第一回目の交渉のときにもブログに書いたが、正式な会議なし、決定の過程は不透明、議事録もなし、という形で、しかし発表されたそれは、一人歩きをし、福島の子どもたちに摘要されているのだ、今日もまた。
これが、わたしたちが暮す国の、暗澹たる「現実」であるのだ。
もし、そこにいるのが「わが子」であっても、彼らは「20ミリシーベルト」なら問題なし、と言い続けることができるのか。

撤回交渉の話し合いの席には、テレビカメラも入っていたようだが、このうえなく杜撰な、けれどいのちにかかわる「数値」についての話し合いを、じっくり報道した番組があっただろうか。
多くのわたしたちは、知らないまま、知らされないまま、「今日」を見送り、「明日」を迎え、そうして「異常事態」そのものにも、やがては徐々に慣らされ、慣れていってしまうのだ。

「………子どもは、今日を、今を生きている。子どもの血肉はいま作られている。その子どもに明日まで待て………というのは大いなる誤りだ」というようなことを書いたのは、チリの女性詩人であり教育者であり外交官でもある、ガブリエラ・ミストラル(1889ー1957)である。
1945年南米初のノーベル文学賞受賞者である。
福島の、それぞれの子どもの、血肉も、まさにいま、作られているのだ。
なんという、なんという「こどもの日」だろうか。
5月4日

日曜の朝というと、いつもは新幹線の中か飛行機の中というように
移動中の時間帯が多く、テレビを観ることは少ない。
が、出かける準備をしながら久しぶりにテレビを観た。
ゆるやかなリベラリズムを感じさせてくれる、好きな番組のひとつだ。
が、番組中、ちょっとした言葉に引っかかって、落ち込んだことを告白しておこう。
わたしがナーヴァスになりすぎているのかもしれない。
目くじら立てて「異議あり!」と叫ぶほどの事柄ではないかもしれない。
福島第一原発についてディスカッションする場面でのことだった。
出演者のひとりが、一字一句、正確に記憶しているわけではないが、
次のようなことを述べていた。
……原発はまだまだ収束がつなかないようだ。
そこで、わたしたち国民のひとりひとりは
選択しなければならないと思う……。
テレビを観ながら、わたしは大きく頷いた。
話は次のように展開すると思い込んでいたのだ。
即ち、今後、わたしたちが原発をどうするか、「脱原発」という選択をし、安全で持続可能なエネルギーに向けてシフトを変える……。
その選択が大事だ、という方向に話は向かうものだと思い込んでいた。
が、そのひとが言ったのは、収束のつかない原発の次なる危機から、
いかに避難するかを、「国民」ひとりひとりが「選択」すべき、だと。
しなければならないということだった。
そうして彼はつけ加えた。
彼自身はすでに避難するルートを確保してあり、
海外の友人から、「いつでも来いよ」と言われている、と。
海外に避難できる、あらゆる条件が整っているひとはいいだろう。
しかし、大方のわたしたちは、逃げたくとも逃げられない現実を背負って
今日を明日につないでいる。
福島の子どもたちは校庭での年間被ばく量20ミリシーベルトを暫定基準と決められた。
それでも、子どもたちや家族の多くは、そこで暮らしていくのだろう。
高い被ばくが予想される地域でも、「逃げられない」年老いた親を介護しつつ、自分も逃げないと決めた息子や娘はいる。
すべては原発があることが原因なのだ。
福島第一原発で作られた電気を使ってきたのは、
わたしや、たぶん発言した彼も含まれるであろう首都圏に暮らすわたしたちだ。
わたしは東京に何が起きても、この地を離れないと決めている。
それが、わが家に戻ることすらできない福島の人たちへの、
せめてもの、わたしの責務であるからだ。
逃げられるひとは逃げていい、子どもや若者にはおすすめする。
しかし、それでも逃げられないひとたちは多いはずだ。

わたしと同世代の発言としては、申し訳ないけれど、ちょっとね、である。
つい本音が出たという意味では、言質を取られまいとして
慎重な上にも慎重な言葉の選択をする官僚たちよりは
マシかもしれないと思いつつも……。
なんだかなあ、の発言に思えたのは、わたしだけだろうか。
怒っているのではない。
かなしいのだ。


5月3日

菅総理に辞任を迫る声が日々高まっている。
永田町でも、街中でもそうだ。
個人的にわたしは既成の政党に何かを
託す思いはすでになくなっている。
それでも、政権交代がわたしたちに、
わたしたちの民主主義を取りもどすきっかけになれば、
という思いはあった。政権を交替させることができるのは、
わたしたち自身だ、という自信が必要だと考えていたからだ。
しかし、せっかく交代した政権で、コップの嵐を見せつけられ、
「ブルータス、おまえもか!」の無念さに
とらわれたのが、この二年間であった。

薬害エイズが判明したとき、当時の厚生大臣として
涙ながらに謝罪した菅さんはどこにいったのだろう。
涙を流せばいい、というわけではないが、
痛みに対する想像力が希薄ではないか、
と彼の答弁を聞きながら思うことがある。
言葉は言葉でしかないが、言葉と沈黙に込められる思いは確かにある。
それが菅さんには希薄なのだ。
しかし菅さんが辞任をして、後は誰に?と考えると、先行きが見えない。
「強いリーダーシップ」を求める声は高まるばかりだが、
強権的なリーダーの出現は、違った意味でおそろしい。

菅さん。いつまでも「総理の座」にしがみつくことはないではないですか。
任期を自ら区切って、「白紙で」と答弁した原発について、
「脱」というヴィジョンを思い切って示したら、いかがですか?
自然災害はおそろしいものだが、今回の大震災の復興を大きく阻んでいるのは、
社会全体に絶え間ない不安と恐怖を
撒き散らしているのは原発の暴走なのだから。
活断層の上に原発があり、「次はどこで?」という恒常的な恐怖を抱えながら、生きていくのはあんまりだ。

ドイツのメンケル首相は、選挙結果を見ての結果ではあるが、
原発推進派から「脱」へと180方向を転換した。
彼女を変えたのは、緑の党に一票を投じたドイツのひとりひとりだ。
この国の統一選は終わってしまったが、菅さんの背中を押すのは、
わたしたちひとりひとりの「声」であることに変わりは無い。

菅さん。支持率がどん底のいまこそ、「でっかいこと」をやる、
またとない機会であることをお忘れなく!
ひとりの人間として、自らの人生を全うすることのほうが、
「吹けば飛ぶよな・総理の座」に居座ることより、
はるかに実りある、はるかに素晴らしい人生に思えるのだが、いかがですか? 
すっから菅、とか、あき菅、と揶揄(下品な揶揄だが)されるより、はるかに。

そうして小沢さん。いま必要なのは、党内を二分しての政争ではないのです。
あなたの郷里、岩手も被災し、多くの住人が苦しんでいます。
ここでこそ、あなたは「正しい豪腕」をふるうべきではないですか。
あなたの口癖、「挙党一致」の時が、今なのです。

きょうは憲法記念日。
福島第一原子力発電所で、放射線を浴びて仕事をしているひとたちに、
基本的人権がはたして守られているのか。
「憲法違反の強制労働」が押し付けられてはいないか。


5月2日

松谷みよ子さんと司修さんがコンビを組んだ『まちんと』(偕成社)。
あの夏の日。向日葵を背にし、日に焼けた
肩と頬をみせて立っていた、女の子。
8月6日、何が起きるかは誰も知らない、広島の日々。
そして、その日、その瞬間。
そして、それに続く、たくさんの明日。
その中で、女の子がようやく口にしてくれたのは、小さなトマト。
「まちんと」と呟く女の子の声に、母親はトマトを探して彷徨する。
なにもかもが一変した街を、街とは呼べない街を。
しかし、ようやく探したトマトを手に母親が
戻ってきたとき………。女の子は………。
いま白い鳥となった女の子は、
「まちんと、まちんと」と鳴きながら、
空高く飛んでいるという。
高層ビルが建ち並ぶ、この都市の空を。
犬と散歩に出るひとがいる、あの住宅街を。
「まちんと まちんと」と鳴きながら。


5月1日

「手を振ってるんじゃない 溺れてるんだ」
この不思議なタイトルの詩を書いたのは、
60年代、イギリスで脚光を浴びた詩人
スティーヴィー・スミスだ。
遠くで手を振っている(と思えた)ひとに
手を振り返し(支援のための)、わたしたちは
わたしたちの日常に戻る。そうして、知るのだ。
後になって。
あれは手を振っていたのではなく、助けを
求めていたのだ、と。
一見、元気に駆け回る子どもの姿をテレビの
カメラはとらえ、わたしたちの日常に流す。
しかしカメラはとらえることはできない。
子どもたちが呼吸をしている、空気、そのものを。


4月30日

4月29日、内閣官房参与として管政権に起用されていた
小佐古敏荘・東大大学院教授が辞任した。
原発の事故対応を批判した上での辞任である。
わたしは、いかなる政権であっても、その政府のPR係になる
可能性のある役職を引き受ける時には
慎重であっていただきたいと願う。
省庁から「忌憚ないご意見を」と参加を依頼されることはあるが、 
そして、その言葉通り「忌憚のない」意見や提案をしたところで、
受け入れられる場合が極めて少ないことを過去の経験からもわかる。
数を並べ、その中に少々の「異議申し立て派」も入れておく……。
それらが彼らのいつものやりかたである。それでも「名誉職」のような
意味合いもあるので、積極的に就く人もいるにはいる。

今回辞任された小佐古さんについてはまったく知らなかったが、
辞任の弁は納得のいくものだ。
4月22日付のこのブログでも書いたが、福島の子どもたち
の校庭利用基準が年間20ミリシーベルトの被ばくを基準に
毎時3・8マイクロシーベルトと決定された。
その決定の過程も不透明であること、交渉のために
福島から参加した母親の切実きわまりない言葉も、このブログで紹介させてもらった。
それらについて、放射線の専門家である小佐古さんは29日に、
官邸や行政機関の場当たり的な対応を批判して辞任を選択した。
年間、20ミリシーベルトの被ばくは、原発の放射線業務従事者であっても
きわめて珍しく、その数値に幼児や小学生にあてはめることは、
「学問上の見地からも、私のヒューマニズムからも受け入れがたい」
この数値(年間20ミリシーベルト)の使用に抗議し、
見直しを求める、と彼は涙ながらに抗議をし、辞任の
記者会見を開いたのだ。

同時にこれは、一学者の辞任を意味することだけでは
ない。このブログでもふれたが、緊急時迅速放射能影響予測
ネットワーク(SPPDIE)が法令に定められている手順に
沿って運用されていないことこと、そして
それらの結果の発表がスピーディでないということ
(4月22日付けのブログ参照)も、今回の辞任につながったという。
福島の子どもたち同様、すべての市民は情報からも
置き去りにされている。

4月29日

「復興」の声のもと。
消されていく悲しみはないか。
踏まれていく憤りはないか。
握りつぶされていくせつなさはないか。
置き去りにされる苛立ちはないか。

ひとつの社会に集う、ほとんどすべてのひとに
災害がのしかかる。
ほとんどすべてのひとは、被害を受ける。
けれど、同じ被害を受けても、その傷と悲しみを
懸命にシェアし、支えあっていても………。
「同じ被害」でも、年代や体調やこころの状態や状況によっても、
微妙な差がやがては生まれてしまう。
「復興」の声に、ついていけない。
蹲ることしかできない。そんな場合もある。
そして、蹲る自分が周囲の足手まといになっているのではないか、
と心砕き、具合の悪さも、湧き上がってくる嗚咽にも蓋をして、
さらに蹲るしかないひともいる。
苦しむひとびとをさらに分断していくことが
「創造的復興」というものであるなら、
社会はどこに向かうのだろう。
いま、この時に乗じての「増税案」もまた。
この時代、この社会で最も大事なものは、
「より小さな声」であるのだが。
「力強い復興」は、その「より小さな声」を
巨大なパワーシェベルで、アスベストが泥に
混じる宙に舞い上がらせ、そして消していくのだ。


4月28日

今朝の新聞1面読み比べで驚いたこと。
東京新聞「浜岡3号機の再開計画 中部電、7月までに
きょう公表 業績見通し決定」の見出し。
他紙にはない。福島原発事故その後の報道が、
日を追うごとに、どんどん鈍くなっているようだ。

いったい、わたしたち大人は何をしていたのだろう。
自己嫌悪に陥る。
チェルノブイリの原発事故。あのあと、わたしたちクレヨンハウスも
脱原発の理論的リーダーと言われた高木仁三郎さんたちをお迎えして
講演会を開いたり、勉強会や上映会をやったり、
「原発を考えよう展」を主催したりしてきた。
折に触れて、「脱」を訴えてきたはずなのに、
ささやかながら活動をしてきたはずなのに………。
ここ数日,ブログに書いている「馴れてはいけない」は
まずは自分自身に向けてのメッセージなのだ。
異議あり、と声をあげながら、結局、わたしは馴れて
きてしまったのかもしれない。馴らされてきてしまったのかも。
それが「いま」であるのだ。
気なることが多すぎた。次々に起きる事件や事象や
理不尽な出来事に優劣をつけることはできず、
異議ありと声をあげ続けていたつもりだが………。
これが馴れてしまうことなのだ、馴らされることなのだと、
痛感させられる。
チェルノブイリ事故から25年。
「チエルノブイリは終わっていない」と述べた
旧ウクライナ地区周辺で活動する医師の言葉がツブテとなる。

きれいな海。そこで暮すトビウオの家族や仲間たち。
何かが爆発して、海が突然変わる。
おとうさんトビウオもどこかに行ったっきり、帰って来ない。
なにか変だ、と、いや、いつもと同じだろう、と。
不安と、その不安をねじ伏せる思いに,心を二分されたまま………。
汚染されつづける海の中で、トビウオのぼうやは………。

いぬいとみこさんの絵本『トビウオのぼうやはびょうきです』(金の星社)を
何年ぶりかで開く。
クレヨンハウス一階、子どもの本のフロアでは、
先人たちが本の中に遺していってくれたメッセージを集めている。


4月27日

なれるのがこわい、なれてはいけない、と昨日のブログには書いた。
それはわたしの、わたしへの指示であり、要求である。

不安や不穏や不信や憤りを心の真ん中に抱えて暮らしていくのは、
辛いことであり、疲れることでもある。
特に、異議申し立てを自分の核に据える暮らしは辛く、疲れる。
だからわたしたちは往々にして、それも無意識に、
それらから目を逸らそうとする。

しかし、今回は目を逸らしてはならないのだと思う。
忘れてはならないのだと思う。
どんなに疲れても、どんなに辛くとも、わたしは、見据えていく、
この現実を、丸ごと。余すところなく。
それもまた、わたしの、被災されたかたがたへの
ミッションのような、責務のような。
福島第一原発でつくられる電気を主に使ってきたのは、
首都圏に暮らすわたしたちなのだから。

いろいろなところで書いてきたが、この構図は、
沖縄の基地問題と、とてもよく似ている。
この国にある米軍基地の75パーセントが沖縄にある。
つい先日、沖縄に行ってきた。
校舎の上を飛ぶ米軍機を見て、ああ、こうして、わたしたちは
暮らしてきたのだ、沖縄のかたたちと、
その地に基地を押しつけて、と再確認した。

誰かの便利のために、誰かが不便や不幸を背負う暮らしはやはりおかしい。
広瀬隆さんの『東京に原発を』というパラドックスはそれゆえ有効なのだが。

おおかたのメディアも原発の「いま」より、
「復興」に、と取材をシフトさせているような。
いたずらに「煽る」のは問題だが、不安から強引に目を背けさせるのも、
「煽る」ことと同根の、誠実さの欠如とは言えないか。

東京新聞の「こちら特報部」が、本当に頑張っている、踏ん張っている。
デスクからひとこと、という小さな囲み記事の中に、
ひとりひとりの生活者でも当然あるデスクの苦悩や憤りやため息が垣間見える。
こういった「体温」を感じる文章に接すると、うれしい。
ファンレターを書きたいほどだ。


4月26日

………なれてはいけない………

慣れる。馴れる。狎れる。
どれもが忌々しい言葉だ、特にいまは。

なれてはいけない。
忘れてはいけない。
画面から流れてくる「復興」の力強い姿に隠されているホントのことはないか。
画面はそれを伝えてはくれない。
そこに吹く風の冷たさを。そこに在るであろう放射線をも。

なれてはいけない。
忘れてはならない。
収束は見えず、いまだ放射能を撒き散らす原発を。
美談にしてはいけない。暴走する福島原発10キロ圏内、立ち入り禁止区域で、黙々と遺体を捜す警察官の白い防護服姿に。
原発事故さえなければ、原発さえなければ、彼らは「そこ」に、「そのような姿で」存在しなくてもよかったのだ。

なれてはいけない。
忘れてはならない。
「創造的復興」。あのひとたちはそんな言葉を掲げる。
復興は確かに緊急のテーマであるだろうが、しかし、なれてはいけない。

今朝の新聞。第一面に記されるこの文字に。
死亡   13,705人
行方不明 14,175人
無機的な数字に、なれてはいけない。

わたしたちが、それらになれるとき、
わたしたちは、無意識のうちに、「人災」になれることをも受け入れる。

なれることと、忘れることはどこかで重なる。
「忘却のかけら」はいつの間にか「かたまり」となり、わたしたちを占領する。
そのほうがラクだから。そのほうが「創造的復興」という前向きの言葉に見合うから。

それでも、わたしよ、なれてはいけない。
それでも、あなたよ、なれてはいけない。
この大震災の、喪失の悲しみに。
この、決して「想定外」ではない、原発暴走という「人災」に。

わたしたちがなれてしまったとき、被災者は置き去りになり、
奪われたいのちは忘れ去られていく。

社会の、国の、「想定図」に、自分をあてはめてはいけない。
それがいかに酸鼻で、忘れたいものだとしても、わたしたちは刻み続けなければならない。この喪失を、この理不尽さを、この悲しみを、この悲惨さを、この憤りを。
浜岡で、玄界灘で、泊で、福井で………。
原発のあるところではいつでも、暴走が待ち受けているという、目を逸らしようもない真実に、わたしたちはなれてはいけない。

4月25日


『さむがりやのサンタ』や『サンタのなつやすみ』、『ゆきだるま』などで
日本でも多くの読者を獲得している、イギリスの絵本作家、
レイモンド・ブリッグズの絵本に『風が吹くとき』(あすなろ書房・刊、さくまゆみこ・訳)という作品がある。

1982年にイギリスで出版された作品で、主人公は、年金で郊外でつつましく暮らすジムとヒルダという名の老夫婦。
漫画のコマ割りの手法を使って、核戦争の脅威という、このうえなくシリアスなテーマを描いた作品で、出版当初から大きな評判を呼んだ絵本だった。

いつも通りの、昨日に続く今日、明日の、はずだった。
町から帰ったジムはヒルダと食事をとりながら、ラジオから流れるニュースを聴いている。
「本日午後、首相が声明を発表(中略)死の灰を避けるシェルターを、3日のうちに…」

ジムとヒルダは、第二次世界大戦の体験者だ。
ニュースに驚愕しながらも、ふたりは当時の思い出話に花を咲かせる。
ヒルダの家の庭には、緑色のペンキで塗った防空シェルターがあり、その屋根の上ではキンレンカが咲いていたこと。隣家はシェルターの上でキャベツを育てていたこと。
「…灯火管制…警報解除…お茶を飲んでいるとまた空襲警報…学童疎開…」
思い出話は尽きない。話をしながら、当局の指示通りに、せっせとシェルターを作る。

ラジオが叫ぶ。
「敵のミサイルが わが国に向けて発射されました あと3分少々です」
「避難してください」、「外に出ないでください」「伏せてください」
衝撃。爆発音。閃光。熱風。

そうして…。当局の発表と指示通りにシェルターを作り、避難したジムとヒルダ……。

訳者は、帯に次のようなことばを寄せている。
…レイモンド・ブリッグズがこの絵本で描こうとした状況は、表向きの形は変わっても、今でも存在しているのです、「表向きの形は変わっても」、核の脅威は存在する。そして、放射能の脅威もまた。

わたしたちの、まさに、「いま」の中に。

4月24日

・・独占を拓かなければ・・

東京は快晴の日曜日。
代々木公園のアースデイは盛況。

クレヨンハウスも、大勢の家族連れで賑わっている。
光の中で、子どもが笑っている。
泣いている。
まぶしげに目を細めている。
若い父親の腕の中で、なにかしきりに訴えている。
母親の膝の上で飛び跳ねている。
子どもは、わたしたちの未来形の夢の形だと、つくづく思う。

今朝、出がけに見たテレビでも、被災地「復興」が大きなテーマとして議論されていた。
被災地に進出した企業を無税とし、民間企業が被災地にどんどん出て行くような「特区」として復興を図る…。といったことが議論されていた。
それは賛成だが、大きな原因のひとつである原発そのものについての言及はあまりないようだった。

いま、福島第一原発の危機が「回避」できれば、(それ自体、かなり難しい状態にはあるが)、それでいいのか。ほかの原発は、そのままでいいのか。
同じような危機が、ほかの原発(この国に54基もあるのだ)で起きないという保証を、誰がどのようにするのか、いや、できるのか。誰もできやしない。
原発の存廃についての議論をさけるメディアの責任を、メディアで生きてきたひとりとして考えたい。また、そのことに疑問を持たないことが、54基まで原発をつくった日本の問題なのだ。
そもそも、電力を作る側、送る側、売る側が、ほぼ「独占」させてきたこの現実こそ問題だった。真実、持続可能な、安全な電力を「買いたい」と願っても、わたしたち消費者が選べない現実をまず変えなくてはならないのではないか。

現行の政・官・財業・学・そして一部メディアの「癒着」を解体しない
限り、福島第一原発と相似形の危機を、わたしたちは同時に「買い続ける」ことになる。

去年の秋に種子を蒔いた、わたしが大好きなロベリアが、小指の爪よりも小さな藍色の蝶々形の花をみっしりとつけていることを今日はじめて知った。
亡くなった母が大好きな花だった。



4月23日

それが何であれ、「いろいろある」ということが民主主義の基本なのだと考える。
ひとつの社会、市でも町でも村でもいいので、ひとつの集合体を想像してみよう。 
その社会に、ある年代しかいないとしたら、どうだろう。  
たとえば三十代しかいない町。たとえば十代しかいない村。
たとえば八十代しかいない市。四十代だけの街、五十代しか住めない自治体というように。
すこやかな社会とは、「いろいろ」が、「いろいろのまま」、違いも含め、
違いが原因で排除されたり、優劣がつけられたりせずに、存在できる社会だと思う。
いまもって収束がつかない福島第一原発の今回の暴走を考えるとき、
「いろいろの論理」から目をそらし、一企業に「独占権」を与えた結果だとも考えられる。

国策として、「独占企業」のように位置付けられてきた電力行政は、「いろいろ」を排除し、その結果、市民が選択できない、危険極まりない、まさに「建屋」を作ってきたのだ。その危険性を隠蔽し、数々の事故さえふたをして、安全・安心・クリーンといった神話をつくり、メディアやアカデミズムを「動員」し、神話の補強をし続けてきた。
それらに異議を唱えるもの、わずかでも疑問をさしはさむものは、排除されつづけてきた。
彼らにしてみれば、異議あるものは、「使わない」、「掲載しない」、「出さない」という、一般は気づかない、見えない「規制」をすればいいのだから。

しかし、それらの安全神話の「建屋」は、今回の暴走で、本物の建屋とともに吹き飛んだ。
そうして現在、昨日のブログに書いように、福島の子どもたちが被曝暫定基準「20ミリシーベルト」(それも内部被曝は積算されない)というめちゃくちゃな暫定基準の中に「遺棄」されている。

子どもへの虐待防止を呼びかけている本体が、少子化対策を打ち出した政府が、「遺棄」という「いのち」への虐待を平然と、しかも暫定基準決定のプロセスも不透明なまますすめているのだ。なんと恐ろしいことか。
電力そのものをいろいろの中から選択し、市民が「買える」社会。そこにも「いろいろの論理」が働く社会を、とこころから願う。

小雨の東京 アースデイの初日に


4月22日

文部科学省は19日、福島県内の子ども(児童・生徒)の
年間被曝線量の「暫定規準」を「20ミリシーベルト」と通知した。
一般公衆の被曝規準は、「年1ミリシーベルト」であると言ってきたのに、
いまなぜ、「20ミリシーベルト」としたのか。
そもそも「暫定規準」はどのように決定されたのか。
決定の過程さえ曖昧で、不透明なままだ。

今度は,子どもの被曝線量について、「安全神話」をでっちあげるのか。
政府は、国際放射線防護委員会(ICRP)の規準を踏まえ、
暫定規準を決定したというが、福島県からの要請を受けた
原子力安全委員会は会議を開くこともなく、県の要請から僅か2時間で、
20ミリシーベルトという暫定規準を決定した、と報道にはある。

国策として、原発の安全神話をばらまいたものたちが、
その神話が崩壊したいまもなお、こうして,子どものいのちを、
親の必死の思いを翻弄しつづけるのか。

さらに、この暫定規準には、「内部被曝」の積算はされていないという。
原発の暴走以来、メディアを通して、被曝には二つあり、
内部被曝と外部被曝があると語ってきたものたちが、
今回の暫定規準では、食べ物などによる内部被曝は切り捨てて、
「20ミリシーベルト」を決定したという。
放射線量は、外部積量と内部積量の「積算」で考えるべきものではないのか。
原発暴走の当初から、「レントゲンを撮ったら」とか
「東京=ニューヨークを飛行機で往復したら」とか「MRIを受けたら」とか、
専門家を自認するものたちが、よくも1側面だけをクローズアップして、
「安全」を強調するものだ、と、そのいい加減さに腹立たしい
思いがしたものだったが、空間線量だけの積算は、
「何も食わずに生きていけ」ということと同じだ。

某番組で一緒だった識者と呼ばれるひとは、「飛行機と同じですよ」と言ったが、
飛行機は利用するかどうか、自分で選ぶことができる。
しかし福島県内で暮す子どもたちは、「選択できない」のだ、どこで暮すかを。 
素人のわたしでさえ、当たり前のこととして考える
内部・外部被曝線量の積算を、なぜ一方の内部被曝だけ外して
シミュレーションをしたのか。許容しがたい事実であり、
子どものいのちと人生を見捨てたような、決定である。

21日、「福島老朽原発を考える会」などの三つの団体が
暫定規準の決定プロセスの公開と、このままでは子どもを守ることが
できないと抗議。事前に質問状も出し、文部科学省の担当者や
内閣府原子力安全委員会の委員などと、参議院会館で面談、交渉。
学校の校庭利用における「被曝限度年20ミリシーベルト撤回」を求めた。
同席した市民団体のメンバーによれば、文部科学省の担当者は、
「放射線管理区域」が何であるかさえ知らなかったという。
以下は何人かの手を経て、今朝、わたしのところに
届いた転送依頼のメールである。交渉に先立って以下のように
発言されたのは、5人の子どもがいるという、福島から来られたひとりの女性であった。
メールには、「ICレコーダーの録音から起こしたものであるために、
聞き間違いなどがあることはご容赦ください」という但し書きがついている。

「私はただの主婦です。5人の子どもを育てている主婦です。
ここにいる方のような学問も知識もありません。
わが子の命を守りたいとここに来た。
生きることの大切さを子どもに伝えてきたつもりだ。
その生きる大切さを一瞬のうちに奪われてしまった現実を伝えたい。
福島の子どもたちは学校の中に押し込められて、
ぎゅうぎゅうづめで通っている。
それが20ミリシーベルトという数字が発表になったその日に、
教育委員会は「もうここで活動していいです」と言ってきた。
本当にそれで安全なのか分からないまま子どもを学校に通わせるのは
不安だというお母さんはたくさんいる。
家庭の中でも、お父さんとお母さんの意見が違う、
おじいちゃんとおばあちゃんの意見が違う。子どもたちはその中で翻弄されて、
家庭崩壊につながっている家庭もある。学校に送り出した後に、
罪悪感で涙するお母さんもいる。いろんなことが起こっている。
私たちただの主婦が分かるように説明してください。
東大や京大や慶応や早稲田を卒業した人たちが
地域に住んでるんじゃないんです。私たちは中学や高校しか出ていない。
でも、子どもを守りたいという母親の気持ちはどこに行っても、
日本中、世界中いっしょです。それを、あなたたちのような安全なところで
のうのうと毎日を生活している人たちに数字だけで決められたくない。
半径10キロ以内のところに対策本部を持ってきなさい。
どんな思いでとどまっているか、知らないでしょう。
私たちは離れられないんです、あの場所を。
生まれた時からずっと何十年も住んでるんです。
子どもたちも、おじいちゃんおばあちゃんも、あの場所を離れたら…。
こんなひどいことをしておいて、数字の実験? ふざけんじゃないよ。
こんなことが許されるんですか。
私はとてもじゃないけど冷静な気持ちでこの場にいられない。
あなたたちの給料、あなたたちの家族を全部、福島県民のために使いなさい。
福島県民を全員、東電の社員にしなさい。給料を払いなさい。
そして安全を保障してください。
私たちは子どもたちを普通の生活に戻してあげたいんです。
母親のこの願いをかなえてください。」

彼女のこの発言を、文部科学省の担当者はどう聴くのか。
政治家は? 専門家は? メディアは? 
そして、わたしたちは!!!!!



4月21日

福島第一原発。原子炉建屋の状況についての報道が、また少しだけ増えた。
無人ロボットが撮影したものが公開されたせいだ。
このまま恒常的な恐怖と絶え間ないストレスを抱え、
すべての、それぞれのわたしたちは生きていかねばならないのか。
そうして、それらにもやがては「慣れていく」わたしたちなのか。
原発に慣らされ、この惨状を知りながら、今度はその恐怖にも慣らされていくのか。慣れこそ、もっとも恐ろしいものであるのに。

日々、新聞には日付けが入った被災者数が掲載されている。
亡くなったかたがたのあとには、行方不明のかたの数が載っている。
が、今回の大震災では、家族全員が行方不明の場合もあり、
行方不明の申告自体ができないご家族もおられるだろう。
「未曾有」を「みぞうゆう」と言い間違えたひとを
メディアが笑ったあの頃の、のどかさを思い出す。

そうして、原発である。
4月20日の朝日新聞朝刊の「声」欄(投書欄)には、
「横須賀の原子力艦は大丈夫か?」という投書が載っていた。
………東日本大震災の津波で、米海軍グアム基地の
保留施設が被害を受け、原子力潜水艦が一時港内を漂流し、
スクリュー損傷……が判明したニュースを受けての投書である。

「『運が悪かった』で済ませるか?」という見出しがついた投書は、
原発推進を支持していた自分を反省し、謝罪した孫正義ソフトバンク社長が
「自らの不明を反省」したことを評価をするという内容の投書である。
「反原発デモ なぜ報じないのか」という投書は、
東京高円寺で10日に行われた反原発の1万5千人デモを、
メディアが報じないことへの異議申し立ての投書である。
危険性を訴えるひとの声を、なぜメディアは無視するのか、を問いかけたものだ。
どれもが、わたしにはまっとうな、生活者のかけがえのない「声」に思える。

メディアには少なからぬ「シバリ」があることは知っている。
電力会社はメディアにとって、最高の「お客様」ではあるのだから。
年間の広告出広料と量を考えれば、たしかにそうだろう。
しかし、「いのち」の問題であるのだ。
第二次世界大戦中、「勝った・勝った」と、事実とは反する大本営発表をそのまま「垂れ流し」た日々に、
わたしはもう二度と戻りたくはない。失われたいのちは還ってはこないのだ。
「報道の自由・表現の自由」を日頃、標榜しているメディア、である。
ここで報道しないで、いつ報道する。
同時に、原発で働くひとも、メディアで働くひとも、まずは、ひとりの「ひと」ではないか。
わたしたちが接したいのは、「大本営発表」ではなく、21世紀の「大本営発表」をどうとらえ、どう検証したか、どこに疑問を抱いたか、という「ひとの声」であり、「ひとの暮らし」であり、「ひと視座」である。メディアには、そのミッションがあるはずだ。

それはないものねだり、であるのか? 
心あるメディアのひとびとが、「シバリ」のキツさに苦悩し、
自分の居場所を模索している。取材する車に、救援物資を積んで
走り回っているジャーナリストもいる。
避難所に寝泊りすることで、そこで暮らさざるを得ない被災者の日常を「体感」しようとしているひともいるのだ。

今日、入園式のある、被災地、気仙沼の幼稚園に、
近くのセンターで止まっていた絵本を届けることができた。
園舎も失い、学校の一室を借りて入園式を行うという。



4月20日

クレヨンハウスが毎年主催する「夏の学校」に参加されたひとりの
小学校の教師から、原子力発電所の安全性を子どもたちに伝える、
「副読本」の存在を教えていただいたのは、去年のことだったか。
原発がいかに安全で、大事なものかを伝えるこの副読本の発行元は、
文科省と経済産業省資源エネルギー庁だ。原発が政・官・業・学・
メディアの一部をも含めた安全神話を垂れ流したことを考えると、
副読本の背景も見えてくる。
この副読本、2009年に初めて発行されたもので、文部科学省は、
教職員セミナーや施設の見学会などの事業に、11年度予算として
5億円近くを計上しているそうだが、副読本もその一部である。
しかし、わたしにこの副読本の存在を教えてくれた教師が言っていたように、
内容は原発推進をテーマとしたものであり、
その危険性についてはほとんど触れていない。
先日の東京新聞朝刊では、その内容について詳しく報道している。
記事によると、小学生向けが「わくわく原子力ランド」、中学生向けが
「チャレンジャー原子力ワールド」という、いまになっては嘔吐を
催すようなタイトルだ。チェルノブイリの原発事故などは紹介されている。が、
「いざという場合にも周囲への影響をふせぐしくみが
安全に守られているのじゃ」。
副読本にロボット共に登場する「博士」なる人物に言わせるなど、
言うまでもなく原発の安全神話を子どもを通して、
さらに再生産、補強するような内容である。
福島第一原発の暴走を受けて、高木文部科学相は4月15日に、
「事実と反した記載」として見直しを表明したというが、
教育委員会や小中学に配られたこの副読本を読んだ子どもたちは、
原発の安全性を信じるしかなかったに違いない。
第二次世界大戦中、教科書に載ったひとつの逸話、
立派な兵隊サンになることを母によって推奨される「水兵の母」と、
きわめて相似した、国ぐるみのキャンペーンではないか。
今回の東京新聞の記事ではじめて知ったことがほかにもある。
この副読本の冊数である。
小学生向けに3万部、中学生向けに1万部(2009年)刊行されたという。
しかし、全国のすべての子どもの手にわたるには、少なすぎる冊数であり、
彼らなら、もっと刷れたはずだし、配布できたはずだ。なぜ少ないのだろう。
原発のある地域や、これから原発そのものや原発の関連施設が
できる建設予定地を、主に想定して配られていたのではないか………。
わたしの勘ぐりでしかないのだが、もう少し調べてみよう。



4月19日

福島第一原発の暴走を報道するニュースを通して、
おおかたのわたしたちは、「SPEEDI、スピーディ」
という大気中の放射の濃度や、そこに暮らすひとびとの
被曝線量等を予測するシステムについて知ったはずだ。
「SPEEDI」は、「緊急時迅速放射能影響予測ネット
ワークシステム」のことだそうで、簡単に言ってしまえば、
放射能の影響を予測するシステムと言ってもいいだろう。
ところが、100億以上もの巨額を投じてつくられた
このSPEEDIの、放射能予測の情報が、いっさい
公開されていないことを、わたしたちはどう解釈したらいいのだろう。
所管は文部科学省だが、その名称とは裏腹に、
スピーディどころか、「非公開」であるのだ。

避難区域が「半径20~30キロ圏内」の「屋内退避指示」
から「自主避難要請」に変更されたのは耳新しい。
原発事故発生直後から、高レベルの放射線量値が検出されていた、
と今頃になって言われても………と住民が困惑し、憤るのは当然だ。
計画的避難区域になるまでは、避難の「対象外」に置かれてきたのだ。
なにも知らされていなかった住民や自治体が困惑し、混乱するのも理解できる。
「なぜもっと早くに教えてくれなかったのか」
「直後からわかっていたなら、どうして教えてくれなかったのか」
「隠していたのか? 住民を見殺しにするのか」
「小さな子どもがいるのに、もっと早くに手を打つこともできたのに、
今までなぜ黙っていた!」
すべてまっとうな憤りである。
4月11には、「計画的避難区域」と「緊急時避難準備区域」に分割される
であろう予定も示され、住民はさらなる混乱の渦の中に放り込まれた。
これら「計画的避難区域」や「準備区域」などの分割は、SPEEDI等の
情報をもとにしているはずだ。
自分たちは手にしたSPEEDIの予測影響情報を使いながら、住民や
市民には非公開としているのは、なぜなのか。
「社会的混乱を避けるために、軽々しくオープンはしない」というようなことを
原子力安全委員会の委員長は記者会見で述べてはいたが、
「社会的混乱を招いている」のは、政府と相変わらず
「原子力ムラ」の専門家たちではないか。
「緊急時迅速放射能影響予測ネットワークシステム」の「緊急時」も「迅速」も
「ネットワーク」という名もすべてを裏切り、隠蔽である。
余談ながら「自主避難」要請というのも、妙な言葉だ。
………あなたがたは、「自主的」に「避難」したので、責任は持ちません………。
最初から エックスキューズしているように感じるのは、わたしだけか?



4月18日

わたしたちが置かれた現実を知るのはおそろしいことではあるが、
「知らない」こと「知らされない」ことはなおさら、わたしには
恐ろしいことのように思える。

『週刊現代』4月30日号は、「原発列島ニッポンの恐怖」という
なかなか読みごたえのある特集を組んでいる。

特集には、今月のはじめにこのブログにわたしも書いた、
3月30日に元原子力安全委員会の16名が提出した「建言」に
ついても、フォローした記事がある。

原子力安全委員会といえば、言うまでもなく原発推進派である。
少なくとも過去に、推進のために「動いた」ひとたちである。
その推進派が緊急に建言をしたのだから、それほどまでに福島第一
原発は危機的状況にあると言わざるを得ない。にもかかわらず、
その建言を報道した記事をわたしはまだ見つけられないでいる、
というブログを書いたのだった。状況は刻々と変化し、
3月30日と現在とではまた違っているが。

『週刊現代』4月30日号によれば、「だが、覚悟の『建言書』は
メディアにも政府にも無視された格好だ」という。
4月1日に彼らが開いた「記者会見には多くの記者が集まったが、
取り上げたのはごく一部のメディアだけ。政府にいたっては、
その建言書の受け取りさえも拒否したという」と記事にはある。

原発を推進してきた「原発ムラ」の一員であった専門家の建言で
あるために、見出しコピー(編集部がつけたものだと思うが)の
次の文言はより心に迫る。
……「原発は安全だと言い続けた私たちが間違っていた」……。
いまさら、という気持ちも正直ないではないが、記事に記された通り
なら、政府はなぜ建言書の受け取りを「拒否」したのだろう。

さらにこの特集には、自民党の河野太郎議員も登場する。
例によって見出しから紹介すると……、
……「原発反対の私が受けた嫌がらせの数々」……。
インタビュー記事にまとめたのは編集部だろうが、彼は次のように発言している。

「……ほとんどの議員はその程度の理解力で、いわば原子力政策の
負の部分に目をつぶり、利権にしがみついて原発を推進してきたのが
過去の自民党なのです」(太字、筆者)

現在の自民党議員」の彼がそういうのだ。
以前にも書いたが、原子力発電は、政・官(現・経産省)・業界・
アカデミズム、そうしてメディアの一部も加わって推進されてきた。

原発が安全だという「神話」は完璧に崩壊したいまでも、
こんな言葉が聞こえる。いたずらに不安を煽るのは問題だ、と。
一面の真理であることまで否定する気はない。
しかし、こうは考えられないか?
最悪の場合を想定し(もう、「想定外」という言葉は使えない)、
その結果が「憂慮したほどではなかった」というのなら、わたしたちは
祝杯をあげようではないか。被害を小さく見積もって、結果が最悪で
あったときのほうがはるかに罪深いと言えないか?
少なくともわたしはそう考える。そのためにも、わたしは「すべて」を
知りたい、一市民として知る権利があるのだ。

節電のせいで、都会のあちこちに突如できた暗がりで、若い女の子と
男の子がキスをしていた。邪魔をしないように、そっと通り過ぎて、
わたしは思う。彼女と彼が三十代、四十代、そして現在のわたしの年代に
なっている頃、この社会はどんな時代を迎えているだろうか。

いや、何十年後ではない、わたしたちは明日すら見えない今日を
生きているのだ。



4月17日

ひとつ、ふたつ みっつ
あの子は 星を数えている
カーテンのない窓から見える 遠くの星を
目を閉じると 
ばあちゃんを連れ去った 大きな黒い怪物がやってくるから
この、同じ夜の中で

四頭、五頭、六頭、
おやじは、眠れないまま 牛を数える 
突然の避難勧告
首を横に振り、抗ってはきたけれど
結局は残してくるしかなかった 濡れた眸たち
この、同じ夜の中で

七匹、八匹、九匹、
痩せた犬たちが歩いている
腹をすかし、泥にまみれた犬たち
首のまわりに 愛された日々の名残りの
汚れた首輪を巻いたまま
瓦礫の中に 犬たちは 誰を 何を 探す
この、同じ夜の中で

あと幾つ夜を重ねたら
あと幾つ朝を迎えたら
あと幾つ季節を見送ったら
あと幾つ年を迎えたら………

眠ることは
こんなにも難しいことだったのか 
この、同じ夜の中で


4月16日

被災地の子どもたちに本を送る活動「HUG&READ」
の活動が続いている。
大事な思い出のある本を送っていただき、本当にありが
とうございます。
「HUG&READ」の活動は、むしろ「これから」という
思いが日に日に強まっている。
わたしは専門書店の代表であり、自らも本を書いている
が、本が人生のすべて、とは思えない。
いまこの瞬間、切実に別の何かが欲しい、と祈るように、
叫ぶように思っている子もいるはずだ。そのことも充分承知
の上で、それでも「HUG&READ」の活動は続ける。
その子がためらいがちに、欲しいものに手を伸ばすとき、
背中を少しだけ押してくれる「何か」に光を当ててくれる
ものが、本の中にはあるはず、と信じて。

友人の評論家から昨日も電話があった。
「気仙沼の幼稚園だけど、園舎もすべてが流され、近くの
小学校の校舎を仮住まいとして、延期した入園式が来週
あるんだ。そのときに絵本があると嬉しいと言っている
のだけど……。できたら150冊あると、と」
{HUG & READ}はクレヨンハウスの小さな組織
だからこそ、こんな時の対応は早い。煩雑な手続きも不要だ。
その日のうちに荷造りして、入園式に届くよう、本日宅急便で
発送する。
ひとりひとりが自分のできることから始めるしかない、
のだと思う。
それでも、原発の暴走や後手々々に回わりがちな政治の無策を
しっかりと見据える視点と姿勢も忘れてはならないはずだ。
何かをしているから、何かをしたから、こっちの何かは忘れ
ていい、置き去りにしていい、といったことではない。

新聞社で働く知人が言っていた。
「シナリオ通りに、すべてが進んでいるようで怖い」と。
彼が言うシナリオとは………。未曾有の大震災。その悲惨
きわまりない状況のレポート。しばらくそれらが続き、やがて
復興記事に、と……。メディアはシナリオ通りに進んでいく、と。
確かにそんな流れを感じる。

「読者は、視聴者は、いつまでも悲しみと喪失だけを求めて
いるわけではない」というのがシナリオの説明で、確かに一理
あるのだがしかし。
個々の人生はシナリオ通りにはすすまない。
風の冷たさや強さ弱さが伝わらない、匂いのない画像に狎れてはならない。
テレビカメラや新聞の記事では充分には写し取れないひとの
悲しみ、喪失、無念さ、憤り。それらをむしろシナリオにあわせて、
強引に「復興の流れ」にもっていくとしたら、
あまりにも残酷であり、お気楽過ぎる。
メディアが掬いとれないところにこそ、ひとりひとりの悲しみが、
無念さがあり、人生がある。そのことをわたしたちは、
しっかり心に刻んでおきたい。

暴走が止まらない原発を「安い」、「安全」、「クリーン」、
最近は「CO2」を排出しないという理由で、推進してきたこの国と「原子力村」。
この官僚組織と業界と学会、そしてメディアもまた決して無実ではない。
わたしたちはいま、メディアを読み解く力、メディア・リテラシー
を自らの中に育てる意志が必要だ。



4月15日

被災地で、避難所で、周囲の大人たちを手助けしながら
元気に振るまう子どもたちの姿が、メディアで次々に紹介されている。

食べものや水を配る子。避難所の掃除をする子。
お年寄りに手を貸す子……。子どもたちも頑張っている。
そして、子どもたちが見せる、輝くようなあの笑顔。
血縁であろうとなかろうと、そこに子どもがいるだけで、
明日の見えない闇の中に立ち竦む大人たちに、一瞬の元気や
安堵を贈ってくれる。それは事実だ。
子どもは確かに、わたしたち大人の、未来形の夢の形だ。
元気な子どもの姿に、被災地を離れて暮している(いつも後ろめたさを覚えるが)
わたしたち大人も、元気のお裾分けを贈られている。

しかし、と思う心配性のわたしがここにいる。

元気な子どもを、メディアはそんなに「評価」してはいけない
のではないだろうか、と。
子どもは評価されればされるほど、その評価に応えようとする。
もっと、もっと、もっと、と。

テレビのカメラの被写体になることは、子どもたちにとっては、
たぶん生まれてはじめての、刺激的な体験であるだろう。だから
より一層、子どもは応えようとする。もっと、もっと、もっと
元気に、もっと「頑張ろう」と。

思い出してみよう。あなたが、わたしが、子どもだった頃のことを。
周囲の大人から贈られる評価が、どれほど嬉しかったかを。
書き取りをするときも、絵を描くときも、掃除当番のときも、
ソフトボールをするときも、「よく頑張ったね」という大人の評価を
どこかで求めていた。それ自体を否定する気はないが、しかし……。
子どもは、子ども自身の人生を生きながら、大人の評価を得るために、
その人生の一部を(時にはすべてを)捧げることさえあることを、
わたしたち大人こそ忘れてはならない。
泣きたいときも、憂鬱なときも、悲しいときも、「いい子」であることを
評価されつづけた子どもは、もっと「いい子」でありつづけようとするだろう。
そうして、率直に自分に感情をだすことができなくなる。わたしにはそれが怖い。

オーストリアの精神分析医W・ライヒが提唱した「ある状態」に、
character armor「性格の鎧」というのがある。
親子関係の中で主に幼少期に形成されるものだとライヒは唱えたが、
わたしは親子関係の中に限らず、多くの子どもと大人の関係の中にも
それは潜むものだと考えている。
周囲の期待に応えられるように、習慣の中でつくり上げた仮りの性格が
いつの間にか、自分の性格になってしまう。
「元気な子」、「いい子」、「健気な子」、「よくお手伝いする子」
という評価が、子どもの心に「期待される自分像」として定着し、
やがてそれがその子の性格の「鎧」になる……。そして、自分の感情、
泣きたい、叫びたい、不機嫌でいたい、動きたくない、という
当たり前の感情や反応さえ、閉じ込めてしまう場合がある。

いつの間にか身につけた、あるいは身につけざるを得なかった日常の
習慣が、「性格化」することは避けたい、と、周囲に元気を振りまく
子どもに感謝しつつも、そんなに頑張ることはないよ、泣いていいんだよ、
といま伝えたいわたしがいる。
さらにメディアは次々に「善意」や「健気」をクローズアップして、
大切な何かを、いのちそのものにかかわる何かを隠している(意図的で
あろうと、無意識であろうと)のではないかといぶかってしまうわたしがいる。



4月14日

被災地の子どもたちに本を送るわたしたちの活動、「HUG&READ」を
立ち上げて、新しい形のネットワークができつつあることを実感している。

長い間、いろいろな運動体にかかわってきた経験から、
今回の「HUG&READ」を立ち上げるについて、幾つかの自分との約束を決めた。

1・この活動は、むしろ「これから」といつも考えておくこと。
ここまできたら、いいや、と思わないこと。
途中で、おりないこと。
最後の一冊が、たとえ来年、あるいは数年先にわたしたちの手元に
届いたとしても、被災地の子どもに送ること。
手をあげるのはむしろたやすい。続けることが基本だ、と。

2・本をお送りくださった個人はもとより、出版社にも、
できるだけ早く「受けとりました」というご連絡をまずすること。
それぞれが忙しい日常の中で、わたしたちの活動に共鳴して、
わざわざ本を送ってくださっている。育児中のかたからも
沢山いただいてきた。介護中のかたもいらっしゃる。

一段落したところでご報告とお礼の手紙はむろん予定しているが、
その前に、まずは「受け取りました!ありがとう」をお伝えしたい。
それが、プロジェクトを立ち上げた責任だと考えた。

ちょっとおおげさなもの言いをしてしまうと、この活動を通して、
運動体が持ちやすい、ある種の性格のようなものを変えたいという
密かな思いがあることも確かだ。

言葉にすると、「なんだ、そんなこと」になるのだが、
「丁寧に、デリケートに、かつ敏速にタフに」である。
「敏速」を優先させると、「丁寧にデリケートに」が後回しになる。

「タフ」のボタンをかけ違えると、「雑に」なる。
これらは、かつてわたしがかかわった様々な運動の中での、
自らへの反省から生まれたものだ。

理想も志も素晴らしいのだが、センシティブな人間関係を
後回しにして動きだすと、結局は、誰かが傷つく。理想や
志のためなら、少々のトラブルは仕方ないとするか、
理想や志があるなら尚のこと、少々のトラブルも排していく
努力を続ける意志の力を、プロジェクトそのものがどこまで
持続できるか、だ。

老眼のわたしには、日に日に増えていく電話のリストをもって
(かけがえのない個人情報だから注意して)、仕事の移動の間に
電話をかけ続けると、目はしょぼつくし、声は枯れる。

それでもお礼を言うべきわたしが「ありがとうございます、何か
したかったのに、納得できるやりかたが見えずに自分を責めていました。
ひとつひとつ電話してるんですか?大変でしょう。ご自愛ください」
と、かえって労わっていただき、恐縮する。
「本の仕分けぐらいお手伝いしますよ。ボランティアが必要なときは、
ブログで募集してくださいね。すぐに駆けつけます」
そんなやさしい励ましにも出会える。
「84歳で、なんにもできない自分がいやになって
いたんですが………。ありがとう」
そんな言葉に出会うたびに、胸がいっぱいになる。

ドイツの脱原発のデモ25万人、などという報道に接すると、
「この国は………」と落ち込むが、いやいや、そんなことはない。
「市民」は素敵だ、みな、「自分にできること」を必死に探している。
それぞれの事情があって、立ち上げた活動を一時休止というところも
あるようだが、「HUG&READ」はこれからも続けていく。

のどアメ舐めながら、老眼鏡を作り直さなくてはならないな、と思いながら、
「あの子」の気持ちをHUGするために、「あの子」が胸に一冊の絵本を
HUGする瞬間に向けて、落合、電話と親密な日々を続けている。
しかし、電話もなあ、使いすぎては電力問題なんだよなあ、と思いつつ。



ところで、「原発暴走」(暴走させたのは、わたしたち人間だ)
のニュースがなぜか少々トーンダウンしたように感じるのは
わたしだけか?

復興はむろん基本だが、不安は多々ある。福島の第一号原発がいま
どうなっているのか。危険なこと、パニックになることは
「市民」に知らせず………という従来の原発事故のありかたを考えると、
懐疑的にならざるを得ない。なにか隠していないか?と。

エイドリアン・リッチの言葉ではないが、具体的に嘘をつかなくとも、
「沈黙でも嘘をつく」ことはできるのだ。妙に沈静化した報道を
みていると、この「沈黙という嘘」という言葉を思う。

さらに、この国の原発の専門家と呼ばれるひと、
技術者と呼ばれるひとたちのほとんどは、福島原発に、その存在も
その意識も集中させているのが「いま」だろう。
そんなときに、この国に50数個もある、どこかの原発に何か
トラブルが起きたとしたら………。どうするのか。
素人でも、なぜいまになってこんなことを?と思うようなミスや
トラブル続きの福島原発の暴走を見ていると、どこかで同じ類の
トラブルが起きないという保障はない。
そのとき、誰がどのチームが駆けつけるのか。無人ロボットさえない
(アメリカのそれも結局は使えなかったと報道にはあるが)、この国は
またもや「想定外」で目を逸らすつもりか。

津波や地震だけではなく、原発そのものの「老朽化」もすすんでいる。
いつ、どこで事故が起きても不思議ではない。
この地震列島で、原発が可能にしたものは一体何だったのか。
そして奪ったものは?

「安全に操業を復興」することが、わたしたちのこれから、なのか。
「原発は安全だという神話」が崩壊した今もなお、それを言いつづけるのか。



4月13日

大震災、そしてわたしには人災としか思えない原発事故について、
取材を受ける機会が多い。先週は、ジャパンタイムズの記者の
かたとお目にかかった。女性である。

お互い向かい合って話をしながら、ふっと言葉が途切れた
彼女を見ると、涙ぐんでおられる。
「涙ぐんで、それでどうなる!」と聞かれれば、どうにもならない
ことは充分承知だが。人として、自らの非力を痛感する現実の前で、
それでもなお「人であろうとする」その姿勢には心から共感する。

彼女は、被災地・岩手で応援歌のように歌われている歌がある、
という保育園の園長さんからいただいた知らせに、取材に見えたのだ。
中川ひろたか作曲、新沢としひこ作詞、クニ河内編曲、
わたしたちが1990年に製作した『空より高く』だ。

先夜、ニュース番組を観ていたら、被災地の高校の卒業式で
この歌が歌われている場面にも出会った。

自ら被災地の住民でありながら、岩手の保育園の園長さんは、
園児たちが歌ったこの歌をカセットに録音し、
地元のラジオ局に送られたそうだ。

「ぼくたちは ちいさくて なにもできないけれど 
このうたを うたいます」という、園児のひとりのメッセージから
始まる歌声は、てんでんばらばらだけれど、だからこそ心に響く。

日本中の子どもたちの、十年後、二十年後、三十年後、
五十年後を想う日。自分のいのちにかかわるものを、
いかに自分に引き寄せ、いかに選択するか。

わたしたち大人はいま、問われている。



4月12日

被災地の子どもに本を贈ろうと立ち上げた、わたしたちの
「HUG&READ」もっと抱きしめよう、もっと読んであげよう。
個人からの寄贈も増えている。ありがとうございます。

ありがたくて、まずは、ちゃんと到着しました、と
送ってくださったかたがたにお伝えしたくて、
ご報告とお礼の電話をかけている。
小回りが利く小さな組織だから、できることもあるのだ。

電話口に出られたかたは、みな一様に3・11のあの瞬間から、
「自分にできること」を考え、悩んでこられた。
ACジャパンのコマーシャルに呼びかけられるまでもなく、
それが「市民」の心情であるだろう。

お礼を申し上げると、反対にお礼を言われたりして、恐縮する。
本を詰めたダンボールに、被災地のかたがたへのメッセージや
絵(子どもたちの)をかいて下さっているかたがたも多い。

それら倉庫に到着したダンボールを開けて、本がだぶらないように
区分けし、一緒に活動をしている「Save the Children japan」や、
被災された方々に直送する。

お孫さんを、HUGしながらREADした本を、という祖母。
やがて迎える子どものために絵本を毎月1冊ずつ買ってきました、
とおっしゃる若いご夫婦。長年保育士をされている女性。

「母の介護がなくなれば、ボランティアで被災地に入っていたと
思いますが」とおっしゃる阪神の女性………。
一冊、一冊に心がこもった本たちである。

「HUG&READ」の活動内容は日々、本ブログに
発表させていただいている。

「こんなことをしなくていい日」が平和で平穏な社会だが、
「こんなことをしなければならない日」の中に、
市民の目線の暖かさと深さと切羽詰った思いが、こんなにも。
やたら涙ぐむ瞬間が増えた。



4月11日

『まるで原発などないかのように』(原発老朽化問題研究会・編、
現代書館・刊)を読む。
2年ほど前に購入し一度読んだものだが、いま読み直してみると、
本書の警告をもっと多くの人々が自らのものにしておいたら………。
と、無念きわまりない。

今回の東日本大震災のような、大地震や大津波に限ることはない。
「老朽化」した原発は危険極まりない。
あるいは、老朽化しなくとも、そもそも原発は何が可能なのか、
という基本の問いを、わたしたちに投げかけてくれる。

第一章 はびこりはじめた「安全余裕」という危険神話
この章を書かれている田中光彦さんはフリーランスのライターで
いらっしゃるが、九年間,民間企業で原子炉圧力容器の設計などに
従事された体験がある。
第二章 材料は劣化する-大惨事の温床
第三章 原発の事故はどう起こっているのか
第四章 中越沖地震と東京電力柏崎刈羽原発
第五章 東海地震と中部電力浜岡原発-運転差し止め一審裁判の概要
第六章 原発は正しい選択だったか

本書のタイトルが示すように「まるで原発などないかのように」暮して
きた多くのわたしたちにとって極めて重要な「いま」と「未来」を
示唆してくれる書である。




4月10日

井上ひさしさんが亡くなって、一年がたった。
その作品はもとより、反核・反戦・反差別、食糧の自給率の問題など、
わたしたちに深い示唆を贈ってくださったかただった。

クレヨンハウスが毎年主催する「夏の学校」。
資料がたくさん入ったエコバッグを手に登壇されて、
子どもが言葉を獲得する過程について、むろん憲法九条について、
笑いをまじえながら、素晴らしく豊かに深い講話をしてくださった。

いま、ここに、井上さんがおられたら………。
被災地の子どもに贈るわたしたちのプロジェクト「HUG&READ」に
個人で本を寄贈してくださるかたがたからのメッセージを読みながら、
ふっと思う。
「市民」を信じ、「市民であること」の意味を、
わたしたちに問いつづけてもくださった偉大なる存在だった。

クレヨンハウス東京の一階、子どもの本のフロアでは、
井上さんの書籍コーナーを常設している。
親子で、本を開くかたがたが多い。
講談社から井上さんの、子どもたちへのメッセージ
『「けんぽう」のおはなし』(井上ひさし/原案、武田美穂/絵)
がこの4月に出版された。

多くの地で首長選が実施される。
こんな時代は「強さ」が求められがちだが、
「小さな声」を踏み潰し、強者の論理を押し付ける首長に
わたしは、わたしの一票を使わない。


4月9日

………「ヒーロー」を作ってはいけない………

「ヒーロー」が待望される社会は、決まって
不穏で不安な時代である。
市民にとって、暮らしやすい時代では決してない。

福島原発の危険きわまりない現場で
日夜作業に従事するひとたちには頭が下がる。
しかし彼らをを「ヒーロー」に祭り上げることは、
ことの本質を隠蔽することにならないか。

原発の事故がおきなければ、
そうして、わたしたちが原発の危険性にもっと
センシティブであったなら、違った選択をしていたら………。
「彼ら」は、「いま」、「いのちがけ」の作業
に従事する必要などなかったのだ。

たったひとつしかない「いのち」をかけることの
無残さ、無念さ、残酷さこそ、わたしたちは
考えるべきではないだろうか。
東電の「協力会社」(呼び方を変えただけのことであり、
「下請け」「孫請け」であることに変わりはないだろう)の代表が、
テレビのインタビューで語っていた。

「ヒーローなんかになりたくはない」
「安全だと言われ、安全だと信じていた」
「お年よりに(原発は)大丈夫かい? と訊かれると、
安全じゃなかったら、原発から六キロのところに
俺だって住まないよって、ずっと言ってきた。なのに!」

子どもがいるだろう。老いた両親もいるかもしれない。
愛する妻だって。そんな、わたしたちと同じ生活者が、
「いのちがけ」で危険極まりない作業をしたい、と誰が思うか。

インタビューに応えた、この協力会社の代表の顔には
モザイクがかかっていた。
なぜ彼は、顔にモザイクをかけ、名前をだすことなく、
インタビューに応じたのか。そこにこそ、
強大な力学があることを忘れてはならない。

「ヒーロー」は要らないのだ、もしわたしたち
の暮らしが本当に安全と安心に充ちていたなら。




4月8日

………なにをいまさら………

3月30日、元原子力安全委員会のメンバー16名が
緊急の建言を提出した。
「まずは国民に謝罪する」から始まる、この建言を報じた
メディアはどれほどあっただろう。

注意深く各新聞をチェックしていたが、見当たらなかった。
もしかしたら、わたしが見逃してしまったのかもしれないが。
原子力安全委員会のメンバーといえば、当然ながら原発を
推進してきたひとたちである。

今さら「謝罪」されてもなあ。深刻きわまりない現実を考えると、
思わずそう言いたくなるが、問題は、推進してきたメンバーでさえ、
謝罪したくなるような「いま」が「ここ」にあるという事実である。

3月11日以降の、たとえばテレビに登場する「専門家」たちの、
コメントも注意深くチェックしていれば、微妙に変化していること
に気付くはずだ。

安心を連呼していたのが、当初の専門家だ。
安全神話が崩壊している現実を目の前にしながら、安心だと
いまさら主張されてもなあ。

最近は流れが少し違って、四月に入ってからは、「事態は深刻」、
「収束は長期化するであろう」派が主流になっている。
一貫して「脱原発」を訴えてきた専門家の「出番」は
まだまだ僅かであることは無念だが。

総理大臣でも、どこどこ大学、大学院教授でも、なんとか
委員でも、まずは市民だろうが、と腹を立てること自体、
「なにをいまさら」、なのかもしれないが。




4月7日

………精神論という罠………

東日本大震災以来、精神、ともいうべきものが
幅をきかせている。
みんなでひとつになれば、なんとかなる………。
日本の力を信じている………。

確かに、そういう側面も大事かもしれないけれど、
まずは、被災したひとたちに、どれだけ早く、潤沢に
医薬品や日用品を届けるかでしょう。
ばらつきはないか? お風呂は? 仮設住宅は?
暴走した原発のその後は? 充分な情報開示は? 放射能は?
第一次産業、農業や漁業に従事されるかたの明日は?
へそ曲がりのわたしは、首を傾げる。

「頑張れ」、と連呼されなくとも、これ以上頑張れないほど、
被災地のひとたちは頑張っているではないか。
むしろわたしは、「そんなに頑張らなくてもいいよ」と伝えたい。
頑張りすぎてはいけないのだ、と。 
団結を強調する傾向も、みんなで我慢しよう風な公共CMも、
なんとも落ち着かない。

欠如と欠乏の中で、それでも柔らかな団結を求め、
実行しているのは被災地のひとびとである。
誰に言われなくとも、内発的に。

被災地に向けてではないにせよ、我慢を強調する流れは、
わたしには「欲しがりません、勝つまでは」に聞こえる。
第二次世界大戦時の、スローガンと重なるのだ。
我慢を美徳とされ、我慢を賞賛され、我慢を実行し、
そうして市民は死んでいったのだ。

海外のメディアが被災地のひとたちの「我慢強さ」を
たたえたという報道が震災直後、日本のメディアでも
大きくとりあげられている。

多くの犠牲者をだし、家族の安否も定かではない状況で、
自ら深い傷を負い、必要な手当も受けられず、
厳寒の中で暖もとれない状況にいるひと。
そのひとたちが必死に、それでも隣人を慮って生きる姿は、
たしかに感動する。頭が下がる。

しかし、それを、「美談」にするのは危険ではないか。
彼らの多くは、喜んで「我慢」をしているのではなく、
「我慢」を強いられているひとたちである。自らが
「我慢」することで、より過酷な状況にいる隣人たちに
手を差し伸べようとしているひとたちである。
そうすることで、なんとか今日を明日につないでいこうとしているのだ。
公共広告機構に引用されている、金子 みすゞや宮澤章二は、
果たしてそれを望んだろうか。
政治や電力会社の、後手後手に回る政策や、
情報開示にはほど遠い現実が生み出す混乱まで、
わたしは「我慢」したくはない。

精神論を多用し、「民」を支配してきたのは、誰なのか。
そうして、精神論を利用してきたのは、誰なのか。



4月5日

「安全」から「安心」へ。神話はさらに作られる

「安全神話」をタテに、原発推進を勧めつづけていた
元原子力安全委員16名が、緊急の「建言」を提出したのは
3月30日のことだった。

原発の「いま」はきわめて深刻な状態である、と。
推進をした専門家すら、そう建言せざる得ないのが、
わたしたちの「いま」である。にもかかわらず、
この「建言」を報道したメディアがどれほどあったのだろう。
注意深く、新聞やテレビをチェックしているつもりだが………。

わたしが見落としたのか、それらを報じる記事や
番組内でのコメントにまだ出会えていない。
単なる見落としかもしれない。けれど、この「建言」は、
なんらかの意図のもと、ニュースにならなかったのではないか………。
どこかで、懐疑的になっているわたしがいることも確かだ。

「過少評価」されてきた、いままでの原発事故を考えると、
より神経質にならざるを得ない。
風評被害に気をつけろ、と政府は言う。確かに
風評被害はおそろしい。奇しくも関東大震災の時も、
風評によって、多くの在日のかたがたが被害に遭った。
大震災という自然災害を、「暴徒化した」彼らの仕業
だとする風評が流れたためだ。
風評はそれゆえに気をつけたい。しかし、原発事故に
まつわる様々な噂は、わたしたち市民が充分にして
正確な情報を得られていないのではないか、という
不安と不信から生まれる部分も少なからずあるはずだ。

今までがそうであったなら、いまが例外と誰が保障してくれるのか。

眠れぬまま、3月末には「災害ユートピア」(R・ソルニット著、亜紀書房 刊)を読んだ。
サンフランシスコ地震、ハリケーン、カテリーナ、そして9・11のテロ等、{HELL}(原題に入っている地獄、という意味)を生きた人々を取材したノンフィクションだ。

自らがこの上ない大惨事の中にありながら、ひとはなぜ、ほかのひとに手を差し伸べようとするのか。自らも深く傷つきながら、ひとはなぜ、より過酷な状況にあるひとのために役立とうとするのか…。

本書に登場するひとびとの姿と、東日本大震災で
被災されたかたがたの姿が重なる。
ひとはやはり、信じるに足る存在である。しかし、
政・官・業・学・メディアが一体となって流布してきた「安全神話」は………。
それが崩壊した今度は、「安心神話」を流布しようというのか。
ここ数日、専門家のコメントも微妙に変化してきているが。

「安全」から「安心」へ。神話は大震災の中でも、
こうして作られ続けていくのか。


4月4日

わたしたちは3月11日に、新しい誕生の日を迎えました。
喪失と悲しみに充ちた誕生日です。

「re」という接頭語が、英語にはあります。「……し直す」という意味です。
わたしたちは考え直し、捉え直し、見つめ直し、構築し直すことが、いま必要ではないでしょうか。
甘庶珠恵子さんの、あの本のタイトルを借りるなら、まさに「まだ、まにあうのなら」(地湧社)ですが。

「弱肉強食」の社会、より多く持っているものと、
より少なくしか持てないものが「分断される社会」、「優劣をつけられる社会」、格差社会のありかたそのものを、わたしたちは果敢に問い直していかなくてはなりません。
まだ、まにあうのなら。

今回の未曾有な自然災害の現状をさらに酸鼻にした原発そのものを、わたしたちは考え直さなくてはならないでしょう。

わたしは、福島原発10機の即刻の廃炉を求めます。
今回のような大地震や大津波がなくとも、この地震列島に、そもそも原発は可能だったのか。
いまは被災者への支援が優先であることは言うまでもありませんが、「安全神話」が完全に崩壊したいまこそ、わたしたちは{re}の思想と姿勢で、持続可能で、真実、安全な、暮らし方を再構築していくことが、この大災害から学ぶべきであり、それが市民であるわたしたちの「責任と権利」ではないかと考えます。
自然災害がなくとも、老朽化した原発は危険です。新しいものでも、原発は危険なのです。
こういった考えを「非科学的」としたひとたちが、原発を推進してきたのです。
コストが安く、クリーンで、CO2を排出しないのが原発である、と。
ウラン採掘の時点からCO2は排出しているにもかかわらず、です。
その結果が、わたしたちの「いま」なのです。

「絶対」などあり得ません。
いつの時代でも、どの社会でも、「絶対」を喧伝してきたのは権力者であり、
その「絶対神話」が崩壊したとき、最も苦しむのは市民です。
危険な放射能物質を放出し続ける原子炉で、いのちをかけて作業されている方々には心より感謝します。ご家族の思いはいかほどでしょう。
しかし、本来、彼らは「そこ」に居てはならないのです。
こんな生命がけの作業を、誰かにさせてはならないのです。
彼らは、「ヒーロー」になってはならなかったのです。

わたしたちと同じ志の仲間、福島で有機農法に長年取り組まれ、
素晴らしく見事な野菜を作り続けてこられたかたが、自死されました。
誰よりも土と会話してきた彼にとって、
土はすでに「会話」のできる存在ではなくなっていることに気づいたのでしょう。

すべての、それぞれの「いのち」のために、祈りましょう。
同時に、祈っているだけでは社会は変わりません。
{re}の思想と姿勢と実践を、いま、ここから、
「あなた」から、「わたし」から考えていきましょう。

スリーマイル島の原発事故以来、わたしたちは上映会や、わたしたちが編集している育児雑誌『クーヨン』を通して「脱原発」のささやかな活動に取り組んできました。
この数年間、わたしたちも年を重ね、力不足になっていたことも確かです。

いまこれを書いているわたしは66歳です。
充分と言いきれなくとも、ここまで生きられた、生かされてきた、という実感があります。
たとえ何があっても,受け止める覚悟はできています。
けれど、小さな子どもたちを見ると、その愛らしい盆の窪や、膝頭を見ると……。
こんな大惨事は二度とごめんだ、と叫びたくなります。

日本には54機の原発があります。わたしたちはこれからもずっと
「次はどこか?」と怯えながら恋をし、子を産み、育て、介護や看護を続けていかなければならないのでしょうか。それを、「日常」と呼ばなければならないのでしょうか。
ドイツでは脱原発の25万人デモが行われました。

繰り返しますが、いますべきことのすべてに人事を尽くしつつ、
けれど、一方で考えていきましょう。
まだ、まにあうのなら。